『双子歴記』

かつて天才映画少年と言われた原将人は、京都に住んでいたが、50代半ばで、双子の娘を得る。その記録であり、究極の「親ばか映画」と言えないこともないが、ここには重要な意味が表現されていると思う。

小津安二郎の映画『麦秋』の時、脚本の野田高梧は、その趣旨を「生まれて生き、結婚して子供を作り育て、そして死んでゆく輪廻のようなものを描きたかった」と書いている。

これでは一応、原節子の結婚相手は出てくるが、戦後の小津の映画では、原節子や岩下志麻は結婚するが、その相手は出てこない。普通結婚までのことがドラマなのに出てこないのはどうした訳なのだろうか。それは、そんなところには本質的な劇はないと小津は言っているのだと思う。

この原将人の映画でも、50代で新たな子を得た彼は、京都で流通や物流の現場での職を探してつ就くがことごとく上手くいかない。かつての天才少年は、今は頭でっかちの不器用な高齢者に過ぎず、劣悪な労働環境でパワハラを受け、職場を転々とせざるを得ない。

私の知人にも、高齢になった自由業の者には、ついに自殺した者や生活保護になりそうな者もいて、映画や芝居の世界は実に厳しい。

ここは喜劇的であり、挿入される双子の能天気な表情に救われる。

57歳になり、様々な経験を経てきた天才少年も、人生には名声や成果等は無意味であり、ただ生きて子を育てていく日常生活にしかないと悟ったのだろうか。

上映されたのは、大塚の「シネマハウス大塚」で、都立文京高校の筋向いだった。

中は60弱の定員で、阿佐ヶ谷のラピュタより少し大きいサイズで、視聴環境は良かった。

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