『女二人のニューギニア』

この本を知ったのは、関川夏央の有吉佐和子と林芙美子を描いた『女流』で、有吉作品では数少ない旅行記で、とても面白い。
友人の文化人類学者畑中幸子の「ニューギニアはとてもええとこよ」の言葉を安易に信じ、有吉は1968年、当時はまだオーストラリアの信託統治領のニューギニアに行く。
巨大なニューギニア島の東半分の上側である。
西は、インドネシア領のイリアン・ジャヤ、東の下側はパプアで、現在はパプア・ニューギニアとして独立国家となっている。

以前、日本テレビの『素晴らしい世界旅行』のディレクターとしてニューギニアを取材した市岡康子さんの話を聞いたことがあるが、ニューギニアでは、1970年頃まで「部族戦争」があったそうだ。
1960年代末は、ニューギニアの独立を控え、「独立後は研究がしにくくなるだろう」との推測から、世界中の文化人類学者が「研究競争」をしていたことは、この本で初めて知った。

そのニューギニアの山奥に畑中は、オーストラリア政府の許可を得て、1965年に「発見された」シシミン族を研究していた。
その山岳高地に有吉は登ることになるが、東京では「三越と白木屋の間もタクシーで行く」有吉は、すぐに山歩きに「バガーラップ」(彼らの言葉で壊れる)してしまい、3日目の最後は、捕獲された野豚が両足を木にくくられ、吊るされるように運ばれて、やっと村にたどり着く。
彼女の足の爪は剥がれてバカバカになってしまい、何もできなくなる。
そこから彼女と畑中女史の「貧窮生活」の悲喜劇が始まる。
そのおかしさ、また文明との接触によって、シシミン族が急速に俗化し、またそこにある人間の本性への鋭い観察が実に面白い。
彼女にあっては、日本の演劇界のセレブも、未開の人種も同じ人間であり、様々な欲望、奇妙なプライドを持っている。

そして、最後は奇跡のような方法で、彼女は「文明世界」に帰還する。
有吉は1984年8月、心臓マヒで死んでしまう。
まるで、よくできたドラマの主人公のように。
今、畑中幸子さんは、愛知にある中部大学の教授として活躍されているようだ。
朝日新聞社

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