『胡椒息子』

1938年、獅子文六の小説を東宝で映画化したもの、小説は昔読んで、結構面白かった記憶があるが、ほとんど忘れていた。
主人公は、東京麹町に住む富豪・群家の徳川無声の次男昌二郎君で、12歳、そこに清川玉枝のばあやが戻ってくるところから始まる。
彼には、兄と姉がいて、実は彼らとは母親が違い、昌二郎は、徳川無声が芸者の伊藤智子に産ませた子だった。
そのせいか、本妻に言わせれば、昌二郎は気性が荒く下品で、しかも歌が上手く、「血は争えないもの」だそうだ。
この辺は、当時の上流階級と下層の庶民の生活が対照的に描かれている。
徳川無声のお屋敷は、スタジオではなく、本当の邸宅を借りて撮影されているようだが、タイル貼りの風呂にシャワーなど、相当な家柄である。

長男の子爵家の娘との政略結婚が、昌二郎を生んだ芸者とのことで断られると、日頃の乱暴な言動を懲らすためと、昌二郎は感化院に入れられてしまう。
いきなり上流の生活から、社会の最底辺の子供たちの生態に飛ぶところがすごい。
その集団のボスからで、昌二郎は、小さいが気力があり、ピリットしているので、「胡椒息子」と呼ばれる。

ばあやが脳溢血で倒れたことを聞き、昌二郎は感化院を抜け出して、会いにいく。
その頃、正妻は、上流夫人の桃色遊戯事件で挙げられ、家を出ていくが、昌二郎の優しい心で、戻ることができ、ハッピーエンドで終わり。

獅子文六は、勿論体制批判の作家ではないが、アメリカニズムに傾斜した、当時の日本のブルジョアのあり方には否定的だったようで、それは、戦中期の小説『海軍』になったようにも思える。
それは、彼の盟友の岸田國士も同様で、翼賛文化連盟の事務局長になってしまうが、この二人はいずれも、フランス文化の教養があったのだから、運命は実に皮肉である。

戦前の日本では、社会の各階層の格差は今より遥かに大きく、それは戦後の民主的諸改革と上流階級の没落で、著しく小さくなったのである。
以前、NHKテレビで作家の戸川昌子が証言していた。

彼女の家は、戦前はある銀行家に居候して住んでいたが、そのお屋敷に来る盆暮れの付け届けは、異常な分量だったそうだ。
どこの社会でも、コネや顔がものを言ったのが、戦前、戦中の日本の社会だった。
それは、戦後の民主化で、一応平準化され、また次第に公平になり、現在ではほとんどすべての社会で、情報公開と個人情報保護により、客観的な基準によるものとなっている。

この映画は、戦前の日本社会の階層ごとの文化、生活様式、意識の大きな違いを示している上で、大変貴重な資料だと思う。
監督の藤田潤一は、戦前は日活や東宝で活躍し、戦中、戦後はエノケン劇団で脚本・演出し、テレビ時代には『月光仮面』の監督もしたという。
かなり時流を読むことに長けた人だったようで、だから風俗的に優れた映画を残せたのだろうと思う。
衛星劇場

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