『敵機空襲』

1943年4月、前年のドゥーリットル空襲を記念して、「米軍の空襲何するものぞ」という作品。
急いで作られ、野村浩将、渋谷実、吉村公三郎の3人が手分けして同時に撮影したそうだ。
荒川区あたりの東京下町、米屋の河村黎吉を中心と下町人情もの。
そこには、家が没落したらしい葛城文子と高峰三枝子母娘も引っ越して来る。

河村は、娘の田中絹代とふたり暮らしで、二階には軍需工場に勤務するインテリの上原謙が下宿している。
田中絹代と上原謙と言えば、映画『愛染かつら』のコンビであり、この二人がどうなるのかが、この映画の柱。
また、学校の教師で、高峰三枝子の女学校の同級生の信千代(信欣三の妻で、赤木蘭子)の紹介で、高峰三枝子と上原謙が良い仲になる。
これは映画『暖流』の、上流階級の女性高峰三枝子を取るか、下層の女水戸光子と一緒になるか(主人公は佐分利信だが)の応用問題にも見える。

また、信千代の兄山路義人は、不動産のブローカーで、大地主の斉藤達雄の下で、空襲で値段が下がる土地の売買を仲介して儲けている。
猪瀬直樹の本では、西武の堤康二郎は、戦時中に土地を買いあさっていたそうだが、先見的というか、金の亡者というべきか。
だが、米軍機の空襲が来て、自分の息子の命も危機にさらされ、山路も日頃の行いを反省し、防空演習にも参加することを決意する。
大地主の斉藤達雄がどうしたかは不明。
防空演習のバケツ・リレー等も紹介されるが、実にのんびりしたもので、今見るとお笑いだが、庶民は米軍の軍事的威力にこの程度の認識しかなかったのかと思うと痛々しい。

最後、空襲の中の不安な田中絹代の表情で終わる。
一体、この田中と上原、高峰の関係はどうなるのか、というところで終わるのは、誰もこの関係を想像できなかったからだろう。
もうこの時期では、戦時体制で上流、下流の階層問題どころではなかったのだが。

資産家だったらしい高峰三枝子一家が下町に来て、そこでは米屋の河村が地域で威張っていると言うのは、戦時下の下克上的な、上流階級の没落と中間層の連中の上昇を現していて面白い。

戦時体制の遂行は、近衛文麿が言うように、一種の革命(日本の共産化と言うのは間違いだが)、階層の平準化ではあったのである。
丸山真男理論の正しさの証明でもある。

この河村黎吉らの下町のノンキな連中は、2年後の1945年3月11日の東京大空襲ではどうなっただろうかと思うと胸が痛む。
衛星劇場

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