伊藤孝君を偲ぶ

今日の夕方、用があって久しぶりに横浜市中区の臨港地区に行った。
公共、民間の倉庫、上屋が再開発で様々に利用されているのに驚いた。

昔、横浜市港湾局の新興埠頭事務所や港営課にいて、赤レンガ倉庫をはじめ、万国橋共同庁舎等でイベントをやろうと一人で企画し動いていた、伊藤孝君を思い出した。
彼は、ほとんど誰れからも理解されず、でも全くのボランティアで、横浜の港湾エリアで何か面白いことをしようと一人で頑張っていた。
だが、酒の飲みすぎで腎臓を壊し、人工透析になり、それでも飲んでいたので、たしか40前に亡くなってしまった。
奥さんと幼い子供が残され、港湾局で遺族を助ける募金の募集があり、私も寄付した。
だが、今日彼が考えたことは、ほとんど実現されつつある。
何事も人知れず「捨石」となった人間はあるものだとあらためて思った。
伊藤孝君のご冥福をお祈りして、家に戻る。

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