朝日新聞朝刊BEに、日本交通社長の川鍋一朗氏が特集されていた。
川鍋氏は、日本交通の創業者川鍋秋蔵氏の孫だが、横浜にも一代でタクシー会社等を創業した方がいた。
昭和40年代に亡くなられた谷田部巳男三郎(やたべみおさぶろう)氏である。
彼は、戦後横浜の南区で睦交通というタクシー会社を興し、さらにガソリン・スタンド、倉庫業等も興した企業家だった。
南区から自民党の市会議員になり、3期くらいやったはずだ。
自宅は、磯子区間坂にあり、所謂「ひばり御殿」と言われ、現在はマンションとなっている敷地の隣地に立派な邸宅を所有していた。
だが、彼は、ある日突然死んでしまった。
心臓麻痺と発表されていたが、真実はそうではなく、家の端の崖から落ちて死んだのだそうだ。
その日は雨で、その状態を見に行くために崖のところに行ったところ、多分脳梗塞のような状態だったのだろう、そこで崖から落ちて体を強打し致命傷になったたのだそうだ。
どうして、このようなことを知っているかと言うと、その崖地の隣地に住んでいた方と後に知り合いになり、その人から聞いたからである。
言わば戦後の横浜の立志伝的な人物の死としては、随分呆気なかったが、現職市会議員だったので、盛大な葬儀が南区の小学校で行われ、私も手伝いいに行ったのである。