関脇の貴景勝が、大関への伝達式の口上で「武士道精神」を言ったそうだが、武士道精神はいつできたのだろうか。貴景勝が知らないのは仕方ないが、2010年に私は、次のように書いた。
『戦場の精神史』 佐伯真一 「武士道という幻想」と副題された本書は、一般的に言われる武士道の、フェア・プレイ等の精神が、実はほとんど近世までの日本で武士による戦闘、戦争があった時代にはなかったこと。あるいは、あってもむしろ例外的で、実態は勝つためにはなんでもする、時には「騙し撃ち」も横行していたことを明らかにしている。豊富な実例が挙げられていて、大変に説得力がある。確かに、古典や劇に出てくる英雄譚では、多くはだまし討ちや仲間を欺いての先駆けけが多い。映画『七人の侍』で、志村喬の勘兵衛が、野武士を襲って鉄砲を奪って来た三船敏郎を、「抜け駆けは手柄にはならない」と叱るが、これは実態から見ればおかしいのである。黒澤たちも、武士道の誤解していたのである。手柄を認めさせるためには、殺した相手の首を切り取らねばならず、源平合戦の「宇治川の先陣争い」は、明らかに仲間を騙しての先駆けの功名である。それが戦場の実態である。だが、戦争がなくなり平和になった江戸時代には、兵法家や儒者からは、こうした卑怯な兵法は、次第に非難されるようになる。それは、長期的に見れば、だまし討ち等の勝てば良い式のやり方では、仲間内の信頼を失い、組織を管理・運営していくには不都合になるからである。だが、明治維新以後、急に「武士道」が発見され、鼓吹されることになる。江戸時代にはほとんど知られていなかった、山本常朝の『葉隠』が発掘され、武士道の見本とされる。明治になり、武士がいなくなり、欧化で欲深い連中が横行するようになったとき、今はない侍は美しい人間として美化されるようになる。まことに現実は矛盾していると言うか、皮肉と言うべきか。世の中の常識と言うものが、いかに実際の歴史と異なっているかを教えてくれる貴重な1冊である。
NHKブックス 1120円 2004年刊
いかに武士道精神が誤解されているかは、真珠湾攻撃を見ても明らかだろう。米国への戦争の通告を心配したのは、昭和天皇と東郷外務大臣だけで、他の軍人連中は問題にしなかった。
ここに武士道精神はあったのだろうかと思う。
コメント
これは、むしろ、武士道を目標とする事によって、日本人らしさをアピールしたかった
のではないでしょうか。二横綱のモンゴル人力士には、言えない言葉でしょう。
日本代表として、相撲道に精進する、という宣言に過ぎず、武士道じたいには、
余りこだわっていないように思いました。
黒澤明も誤解したという、美化された武士道は、今の平和な時代には合っている
のではないでしょうか。こんな時代に、どんな卑怯な手を使っても、謗られても、
勝てればいい、などという行為は、ファンから多大な非難を招くでしょう。
「こいつはろくでもない奴だ」と、時代遅れのヒールになるのではないでしょうか。
よくあることですが、それがすでになくなると造形されるものがあります。
歌舞伎の江戸時代の庶民劇は、河竹黙阿弥の作品が典型ですが、実は明治になってから作られています。
「髪結い新三」のような素朴な、しかし良い男も、実は明治になってから作劇された人間像です。
『男はつらいよ』の車寅次郎も、1960年代末にできた人間像で、元は渥美清が戦後すぐに出会った人たちからできたものですが、1960年代にはもうなかった人間だったと思います。