朝刊に木幡和枝さんの訃報が出ていた、72歳。
アートプロデューサーと出ていたが、もともとは編集者で、同時通訳もやっていた。横浜で、日本平和学会の総会があり、担当の国際室の一人として戸塚の女性フォーラムに行くと木幡さんがいて、「今日は同時通訳として来ています」と言われた。
通訳者としては、英語、ドイツ語、スペイン語もできたとのこと。
ある時、なぜ同時通訳をやっているのですかと聞いたところ、「同通をやっているとその分野の最新の情報に接することができるから」とのお答えだった。田村光男とは、「われわれは英語だけでも大変なのに、木幡さんの能力は信じられない」と言いあったものだ。
スーザン・ソンタグとも交友があり、何冊かは翻訳されている。
私は、パシフィコ横浜にいて、オープニングイベントを担当した時、元早稲田劇研の仲間で、イベント・プロデューサーをやっていた田村光男から、「まずはコンセプト・ワーキングをすればよいとして」そのメンバーの一人として木幡さんにも参加していただいた。
私は、もともとウォーマッドの日本版をする気だったので、途中からそのワーキングは、ウォーマッドフェステイバルをどう日本に適用できるかの場になったのだが。
木幡さんとは、2014年11月の田村光男の葬式でお会いしたが、その頃は東京芸術大学の先生をされていた。
長く東中野のPLAN-Bの運営をされていた他、山梨の白州フェスティバルでも活躍されていたことを評価されたのだと思う。
表舞台で大活躍された方ではないが、幅広い分野で活躍された人のご冥福をお祈りしたい。