昨日見た『ベビー・ギャング』では、小林桂樹と淡路恵子がドドンパを踊っていた。
1961年は、ドドンパの年で、日活では渡辺マリ主演で『東京ドドンパ娘』が作られている他、大映でも『ドドンパ酔虎伝』が作られている。
このドドンパというのは、関西で始まったリズムだとされ、特に京都のフィリピン・バンドの連中がやったと言われている。
それが、関西のラテンだった坂本スミ子やアイ・ジョージらに受けつがれて東京、そして全国に流行したとされている。
だが、このフィリピン・バンドの連中が始めたというのは、非常に興味深いと思う。
というのも、フィリピンは、戦前からアジアにおけるポピュラー音楽の先進的エリアで、日本でも多くのフィリピンミュージシャンが活躍していたことはジャズに詳しい方ならよくご存じだろう。
そうした先進的ポピュラー音楽のフィリピンのンバンドでできたリズムがドドンパだとすれば、それはさらにアジアの他のエリアでも影響を与えたのではないかと私は思うのだ。
それは、1960年代後半にインドネシアでできたダンドットである。
これは、オマ・イラマ、エルフィー・スカエシなどイスラム系のミュージシャンによって担われ、多くの大衆に受け入れられた音楽である。
ポピュラー音楽は、国境を越えて普及し、影響を与えるものなのだと思う。