「昭和天皇と満州事変」の後半が4月Ⅰ日から始まった。
この日は、第一次世界大戦以後の国際情勢と国際連盟設立に至る話が中心だったが、後半で満州事変に対しての昭和天皇の疑念、不安が説明された。以下は、『昭和天皇実録』から
9月27日 午前11時10分、内大臣牧野彰顕に謁を賜う。そのさいに、牧野に対して、経済封鎖を受けたときの覚悟、もし列国を相手として開戦したときの覚悟とその準備について、侍従部官長を通じて陸海軍大臣に質したき旨を述べられる。
昭和6年、1931年の段階で、日米戦争への不安を述べられているのだ。
この昭和天皇の疑念は、きわめて正しく、不幸にも当たってしまうことになる。
私は、立憲君主制の君主として、昭和天皇に政治的責任はなかったと思う。
ただ、陸海軍を統率する唯一の司令官としては、軍事的責任はあったと思うのだ。
『天皇実録』によれば、天皇が実際の戦闘にまで指図したことはないようだが、個々の戦争の局面で、
「これはどうか、これで戦力は十分か」等のご質問という形で、天皇の意思を示されていたようだ。
それゆえに、私は、昭和天皇には、戦争の指導者としての責任はあったと思うのである。