『風の中の牝鶏』

今、神田の神保町シアターでは、名画の独参湯(どくじんとう)小津安二郎特集をやっている。
だが、小津作品のビデオは横浜市中央図書館のAVコーナーがほとんど所有しているので、わざわざ神保町まで行くことはない。
午後、中央図書館に見に行く。
小津の1948年秋の問題作『風の中の牝鶏』である。
これは、戦後の小津作品の中では、1953年の『東京暮色』と並び、小津作品では極めて評判の悪いものだが、本当なのか疑問に思っていたので、今回見ることにした。
確かに小津らしくない作品だが、相当に痛切な作品である。
ただ、『東京暮色』ほどの強烈さはない。
それは、この作品での主人公佐野周二の苦悩がやや他人事のように見えるからである。

戦後の東京の下町、ガス・タンクが背景に見えるので、千住あたりのことだろう。
28歳の人妻田中絹代は、一人息子を抱え、夫の佐野は、まだ戦争から復員していなくて、ミシン仕事で生計を立てている極貧生活。
ある日、息子が大腸カタルで入院し、医療費の支払いに行き詰まってしまう。
そして、いつも着物を買ってもらっている闇屋の女に、売春を斡旋してもらうことになる。
この辺は、きわめて間接的に描いていて、話の運びと描写はさすがに上手い。
その後、夫が戻って来る。
喜びの再会と会話の中で、田中はつい売春のことを正直に告白してしまう。
それほどに夫婦は、相互を信頼しており、何事も包み隠さずやって来たのである。
佐野は、田中に厳しく詰問した翌日、心を静めるため、現場の月島に行く。
そこでやはり家族の生活のために売春をしている若い女に会う。彼女が真摯に生きていることを知り、自分が働いている会社に就職を世話してあげる。
「彼女を許せて、なぜ妻を許せないのか」と同僚の笠智衆に聞かれるが、佐野はやはり容易には妻を許せない。笠と佐野が会社で飲んでいる背景では、ビルの一室がキャバレーになっていて、そこでは男女がダンスを踊っている。
この辺も戦後的風景である。
佐野は言う「あのジャズも少しも楽しくないんだ」
そして、佐野は家に戻ったとき、佐野に謝り纏わり付いて来る田中を二階の階段から突き落としてしまう。
田中は、階段を転げ落ちる。勿論、吹き替えであり、アクロバットの女性を使ったのだそうだが、ここはやはり驚く。
だが、さらに驚くのは、このとき、落ちた田中に対して佐野が助けに降りて来ないことである。
普通の演出なら、佐野は「平気か」と階段を下りて来るところだろう。
だが、佐野は来ず、しばらくすると田中がよろよろと階段を登って行くのだ。
そして、二階の部屋の隅では、佐野は頭をうな垂れている。
勿論、上がって来田中を抱きしめ、二人は和解する。

この佐野が階段を下りず、田中を介抱しないのは、今日のフェミニズム的に見れば、とんでもない行為と言うことになるだろう。
だが、当時の日本の男は、こんなときに女性を介抱しなかったものなのだろうか。
私は、それほどまでに佐野の田中への懺悔、済まなさが大きかったと解すべきなのではと思う。
さらに、ここには佐野は戦争で何をして来たのか。
実際に中国の戦場では「毒ガス部隊」にいたという小津の本当の苦悩は反映されていないのではないか、そこにこの作品の疑問点があるように思う。
横浜市中央図書館地下AVコーナー

夜は、知人と野毛の椿で飲み、最近見た芝居のことなどを話す。
いつもことながらここはとても美味しい。

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