映画『妖婆』の裏側

俳優と言うより、近年では書評家と言った方が正しい児玉清の本『負けるのは美しく』(集英社)の中に、彼が最後に出た映画・今井正の『妖婆』の撮影現場のことが書かれていた。

今井正は、最近私は高く評価している監督である。
今井正といえば、共産党、そしてガラス越しキッスの『また逢う日まで』と来る。
だが、共産党はともかく、彼の作品には『また逢う日まで』などより良いものがある。有馬稲子主演の『夜の鼓』はとても凄い作品である。また、『ここに泉あり』も、共産党主導の戦後文化運動の駄目な部分が良く描かれていて、感心する。
その今井正の中で、一番の愚作と言われているのが、大映が潰れた後、1976年10月に永田雅一が自分のプロダクションで作ったのが『妖婆』である。

今井は、永田雅一から依頼があり、脚本は水木洋子、スタッフもすでに編成されているとのことで、監督を引き受ける。
だが、水木洋子のシナリオを読んで「ぎょっ」としたが、すでに制作は動き出していたので、仕方なく監督したと自分の本で書いていた。
多分、大映倒産後であり、組合からの要望もあったのではないかと思う。

芥川龍之介原作のシナリオは私も読んだが、無知蒙昧なオカルト映画だった。
主人公・京マチ子は、山本モナのごとき色情狂で、次から次へと男を誑かし、食い物のして行くが、常に年取らずに若く美しい。
だが、最後に死んだとき、老婆の顔になると言った話だった。
1976年秋は、角川映画の『犬神家の人々』や大島渚の『愛のコリーダ』が公開されたときで、セックスとオカルトは大流行だった。

シナリオを読んだ限りで、実に愚かしい作品と思った。
なぜ、こんなシナリオを水木洋子ともあろう人が書いたのか。
彼女は、小林正樹の映画『怪談』を書いたとき、実際の様々な怪奇な話を取材し、次第にその世界に入って行ってしまったそうだ。そして、当時は完全にオカルトに憑かれていたらく、そこでのオカルト映画だったようだ。

児玉清は、彼女に食べられる男の一人としてキャスティングされ、京都に行った。
監督の今井正は、カメラの宮川一夫以下の旧大映京都のスタッフに完全にボイコットされていてやる気を失い、ラッシュも見に行かない状態だった。
あるとき、今井正に児玉清は、スタッフがラッシュを見に行ったときに聞く。
すると今井は、「宮川一夫は、移動撮影を全くやらず、困っている。大カメラマンでも監督の言うことを全く聞かないので困っている。僕はこの映画は完全に投げているのです。済みません」と正直に言ったそうだ。
誠に正直な話だが、それを見せられた方はたまったものではない。

だが、一部ではカルト・ムービーとして人気があるらしい。
是非、見たいものと思っている。

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