新春大歌舞伎

正月は、歌舞伎を見たい。
去年も新橋演舞場で、話題の市川海老蔵の荒事を見た。
今年は、まず最初は『御摂勧進帳』で、本来は中村芝翫だったが、休演で息子の橋之助の弁慶、義経は中村錦之助、富樫は中村歌六。
初代桜田治助作で、普通に行われる、「飛び六方」はなく、天水桶に投げ込んだ番卒の首を芋になぞらえ、それを弁慶が金剛杖で掻き回す「芋洗い」の勧進帳。
これは、四代目団十郎が演じたもので、勧進帳としてはこちらの方が古く、普通の飛び六方の勧進帳は、七代目団十郎が始めたものだそうだ。本来、橋之助の役柄とは思えないが、そつなく演じていた。里芋の芋洗いは、昔は八百屋の店先で、機械でよくやっていたものだ。

二番目は、『妹背山婦女庭訓』で、三笠山御殿の場。
主役の漁師鱶七は市川団十郎で、最後に荒事を見せる。ここでも、橋之助は父の代わりに二枚目の求女を演じたが、これは美しくて非常に良かった。団十郎は、例によって声は良いが、滑舌の悪さは相変わらず。

最後は、正月吉例の曽我狂言で、『寿曽我対面』
工藤祐経は、中村吉右衛門、曽我五郎は坂東三津五郎、十郎は中村梅玉。
これなど、何も中身のないドラマだが、役者の芝居だけで見せるのは歌舞伎のすごいところである。
まさに鈴木忠志の言う、「演劇とは役者を見せるもの」そのものである。
最近見た古川ロッパの戦後の日記には次のように書かれていた。

  東京駅で夕刊を見ると、六代目菊五郎逝去のニュース。歌舞伎も愈々おしまいか。

昭和24年7月10日、日曜日のことである。
戦後、ずっと歌舞伎は滅びると言われてきた。
だが、皮肉にも今一番元気で若い世代にも人気があるのは、歌舞伎である。
新劇はすでに滅びて存在せず、ロッパ、エノケンらがやっていた喜劇劇団もまったくない。
それらは、現在一番人気のあるミュージカル公演に吸収されていると言うべきだろうか。
新橋演舞場 
帰りは新橋まで歩き食事して戻る。

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