かつて日本の演劇、映画界には「役作り」と言う言葉があったが、今や完全な死語である。
来週、秋葉原で行われる「第5回新人監督映画祭」の応募作品を見ている。
特に昨日は、雨で外に出られなかったので、ずつと10本近くの映画作品を見た。
気づくのは、俳優の演技がみな自然な演技であることだ。
だが、どれも、その俳優そのものを押し出しているようで、本人以外の役を演じているようには見えない。
本来、演技と言うものは自分以外の役になることであり、それは小津安二郎や成瀬巳喜男などの日常的なリアリズムの映画を見ればよく分かるだろう。
そこには、杉村春子のような大ベテラン俳優が出ていて、日常的なリアルな演技を見せている。
芸術全般についてみても、リアリズムは、近代になって出てきた様式であり、原始美術や日本の縄文文化を見ても、非常に「反リアリズム」であることを考えれば、すぐに理解できることだと私は思うのだが。