自立した、だが奇妙な人々の観念論 『愛と死の谷間』

監督五所平之助は、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らと並ぶ大監督だと私は思う。
この人の評価が低いのは、サイレント時代の作品がほとんど残っていないことがある。
彼はその理由を「小津君の映画はほとんど売れなかったのでよく残っているが、私のは大変よく売れて消耗されたので作品がほとんど残っていないのだ」と言ったそうである。
私としては、五所に豊田四郎を入れて、日本映画5大巨匠としてほしいと思っている。

ただ、五所作品は時として中途半端というか、作品の趣旨がよく分からないものになっていることがある。
その典型の一つが1954年に日活で撮った『愛と死の谷間』である。

横浜の場末の診療所の女医津島恵子は、最近妙な男に付けられているのに気づく。
診療所の場所は、鶴見区矢向の国鉄貨物の操車場脇で、無数の貨物線があり、縦横に貨物列車が画面の遠景を通る。
この矢向の操車場の近くに私の母の実家があり、子供のときはよく遊びに行き、操車場の上を通る陸橋も歩いたことがある。
今は、貨物の縮小によって大部分は撤去され、新川崎駅となっている。
この作品の撮影のとき、知人の一人は、この近くに住んでいたので、実際に撮影を見に行き、津島恵子がきれいなのに驚いたそうだ。

津島恵子は、当時日活の主力女優の一人で、山村聡が監督・主演した、国鉄の下山事件をモデルにした大作『黒い潮』でも主演している。
この映画では、彼女は診療所のケチな所長宇野重吉から求婚されるが、断る。
宇野は、金儲けのために診療所をやっている男で、金持ち女高杉早苗を騙して診療所を作り、経理の乙羽信子を愛人にしている。
津島を付けていた男の芥川比呂志は、「宇野の心変わりは津島の性だ」と誤解した高杉によって雇われた私立探偵だが、島津を付けているうちに彼女が好きになる。
ある夜二人は偶然に横浜の港近くを彷徨し、恋人同士のような夜を過ごす。
だが、翌日彼が、探偵であることを知り、彼から求婚されるが、失望するしかない。
だが、最後津島も、時が経てば芥川を理解できることを示唆して別れる。

自殺願望の青年木村功、その妹の美少女でマネキン制作会社の安西響子、彼らが住むスラムの住人たち、診療所の医師伊藤雄之助の多々良純、看護婦長の北林谷栄など様々な人が、奇妙な行動をし、それぞれが勝手なことを言い合う。
この庶民がひどく観念的なことを言い行動するのは、五所平之助と椎名麟三の映画『煙突が見える場所』にも共通する特質で、他の日本映画にあまり見られないものだと思う。
この自立性は、五所にあっては、戦後の東宝ストの解除のとき、共産党員ではないのに、デモ隊の先頭に立って撮影所を出てきたことに通じるものである。江戸っ子の心意気だろうか。
また、椎名にあっては、戦前の日本共産党からの転向の中で、外国思想とは全く無縁に、独力で掴んだ実存主義の持つ独自性だと思う。
今では珍しくもないが、非共産党の進歩派と言う、当時は珍しい立場だったのである。
シネマ・ヴェーラ渋谷

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