日本映画専門チャンネルの「日の当らない名画特集」、1955年内田吐夢監督の日活作品、主演は北原三枝、三国連太郎、宇野重吉、月丘夢路という初期の日活の、石原裕次郎・小林旭以前の大スターの総出演作品。
話は、戦後没落しつつある資産家の娘北原三枝が、戦後派らしい自由な行動によって、女たらしの医者の三国連太郎、真面目な宇野重吉という二人の男の愛、父が残してくれた全財産、病気で寝ている兄の金子信夫という、彼女をめぐるすべてのものを失ってしまうもの。
すぐに石原慎太郎の『太陽の季節』が出るときで、戦前派内田吐夢の一種の若者批判、戦後風俗批判と言える作品。
内田吐夢は、戦前は日活を代表する監督で数々の名作を作ったが、戦時中は満州の満映に行き、戦後もそのまま中国に残り、昭和28年に日本に戻って来る。
そのときに彼が見た戦後の日本は、恐らく戦前の秩序や美しさを失ったものだったろう。
この作品では、最後にアメリカに医学の研究に留学する、女たらしの三国連太郎に「日本はアメリカの地方みたいなものですから」と言わせ、盛んに上空を飛ぶジェット戦闘機の音をかぶせている。
戦後の日本の体たらく、無秩序、特に性的不道徳は、全部アメリカ軍の占領によるものだと言っているようだ。
それは、半分は正しくて当っているわけだが。
北原三枝が、ここでは戦後のアメリカニズムによって、すべてを失ってしまう美貌の女性を演じているのは大変興味深い。
この作品の1年後の、石原慎太郎原作・脚本の映画『狂った果実』では、北原三枝は、石原裕次郎と津川雅彦の兄弟から愛されるが、実はアメリカ人の妻と言う、日本の戦後の恥辱を象徴する役を演じてるのだから。
石原慎太郎の、反米主義の根深さが分かると言うものだ。
つまり、戦後の日本社会では、アメリカと上手く付き合う連中は幸運を得るが、そうでないものは不幸に陥る、と言うテーゼが語られている。
内田吐夢は、それを暗示していたが、あまり上手に表現できていないようだ。
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