高円寺の「円盤」で、岡田則夫氏のお話で、明治・大正・昭和の寄席の音曲をSP盤で聞くイベントが行われた。
20曲が掛けられたが、私が知り、レコード等で聞いたことのある芸人は、立花家橘之助、柳家三亀松、都家かつえ、西川たつ、文乃家かしくだけで、ほとんどが名も知らなかった芸人たち。
だが、みな歌も三味線も非常に上手いのにあらためて感心した。
そして、立花家橘之助を実際にSPで聞いてみて、この人の魅力がよく分かった。
実にセクシーなのだ。
もちろん、三味線も上手くて、音程が完璧なのはさすがだが、ともかくセクシーなのだ。
実際に見たら、もっと感じだただろう。
感じとしては、歌手のちあきなおみに似ているかな。
岡田さんの説明では、寄席の音曲士には、二つの系列があったと言う。
一つは、落語家に弟子入りして、修行中に音曲士に変わった人で、もう一つは、本来義太夫、清元、常盤津、長唄等の修業してある程度になり、寄席に出るようになった人だそうだ。
そして、音曲士と言うのは、男だけの呼称で、女性の場合は、立花家橘之助の浮世節、関西の女性音曲士の女道楽と言い、音曲士とは言わなかったとのこと。
彼ら音曲士の中では、立花家橘之助、春風亭楓枝(しゅんぷうてい ふうし)、さらに三遊亭圓若が三大スターだったそうだが、彼らは確かにすごい。
だが、他の連中も大変面白かった。
当日の曲目については、岡田さんのHP『巷間芸能研究室』に出ているので、是非ご覧いただきたい。
中では、海賊盤である複写盤の、三遊亭萬橘の『注意節』は、とてもきれいな盤面だった。
大正時代、日本では多数の海賊盤が横行したが、雲衛門のレコードの訴訟で敗北したために、わが国での著作権法の制定になったのである。
そして、岡田さんが言うように、こうしたマイナーな芸人のよさは、あまり芸を押し出して来ない、ほんわかとした謙虚さにある。
こういうものも、今や「我も我もと、売れりゃいい」という近頃の芸人とは全く異なる良さである。
「一体、こうしたマイナーな生き方で、どうやって生活していたのか」と怪訝に思うが、当時は多分、寄席の他、お座敷、温習会、その他町内での弟子への教授など、色々とたつきの道があったのだと思う。それだけ、庶民芸能が今とは比較にならないほど豊穣で、多彩な種類があったのである。
またそれは、みな踊りと結びついていたので、そこが彼らが、現在のロックのノリのように、リズム感の良さに繋がっていると私は思う。
この次8月5日(金)には、「うぐいす芸者」の特集だとのこと。
多分、また新しい発見があると思い、是非行くことにした。