『三味線とオートバイ』

1961年秋、ヌーベルバークの後退気運の中で、篠田正浩が監督した娯楽作品だが、森雅之と桑野みゆきの関係を考えると結構意味深いものもある。
三味線とは、飯田橋で小唄の師匠をやっている月丘夢路のことで、オートバイとは彼女の一人娘で、カミナリ族の大学生川津祐介と付き合っている高校生の桑野みゆきである。
つまり、戦前世代と戦後世代の対立が主題である。

3月の卒業を控えて連中は、熱海への遠乗りに出て、その帰り、川津は横浜でトラックを避け損ねて横転し、二人とも重症を負う。
桑野が入院した病院の医師森雅之は、桑野にひどく親切だったが、実は桑野は、森と月丘が戦前に恋人だったときにできた子だった。
月丘は言う
「今度ほど人生の運命の不思議さ、世間の狭さを感じたことはありませんわ」
戦前、二人は地方で知り合い愛して東京に出てきたが、親たちの反対で引き剥がされた仲だった。
桑野は、高校を卒業して森の世話で、出版社に就職する。

この桑野みゆきと森雅之は、本当は前年の1960年の大島渚の『青春残酷物語』で共演するはずだった。
桑野は川津と、中年男を相手に美人局をするが、その相手は本当は森雅之だった。
だが、監督の大島が森に出演を依頼したとき、森は「この役は演じて気分の良い役じゃないね」と断り、この役は二本柳寛になった。
一体、森は何を気分が悪いと言ったのだろうか。

小津安二郎の戦後の一番の失敗作と言われているのに1956年の『東京募色』がある。
これは、簡単に言えば、笠智衆の娘有馬稲子が、不良学生田浦正巳と付き合い妊娠してしまい、夜中に酒場にいて警察に補導されてしまう。
そのとき有馬は、自分には真面目な夫の笠智衆を捨て、若い男と駆け落ちした母親の淫蕩な血が流れていて、それは拭い得ないのだと思い込む。
そして、田浦から捨てられて有馬稲子は、あっさりと自殺してしまう。
有馬の姉原節子は、満州から引き上げて来て、別の男中村伸郎と五反田でマージャン屋をやっている母親の山田五十鈴に会いに行く。
そして、「妹を殺したのはあなただ!」
と山田を強く批難する。

この作品には、当時すでに石原兄弟の「太陽族映画」が出ていたのに、田浦正巳の不良学生がひどくよなよとした女のような男で、言わば戦前の不良学生的な匂いがする変なところがあり、小津の戦後風俗への無理解も目立つが。
ここで、一体小津は、何を言いたかったのだろうか。
私の考えでは、それは小津自身のやや苦い思い、ある種の反省と悔恨であると思う。
戦後、太陽族のような無軌道な若者が跋扈し始めた根源には、戦前のモボ・モガと言われた自由で解放的な時代があり、それは勿論、昭和の黄金時代であったが、同時に戦後の道徳の崩壊の源でもあったのであると小津は言っている。
その象徴が山田五十鈴と有馬稲子の母娘関係である。
太陽族のような連中を作り出したのは、自分たちの責任だったという小津の苦い思いだと私は思う。

この『三味線とオートバイ』で見せる森雅之の、実の娘桑野みゆきに対する複雑な感情には、小津が『東京慕色』で見せたような苦さがあるように思う。
多分、小津の『東京慕色』を見たに違いない篠田正浩は、そう考えてこの娯楽作品を作ったのではないだろうかと思った。
最後、森は九州の病院に転勤になり、そこで事故で死に、桑野に自分との関係を手紙で書いてくる。
桑野は、小唄の師匠風情の娘は駄目と言う、裕福な家柄の川津の家族の反対にも関らず、川津といずれは結婚することを決意して終わる。
衛星劇場

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする