『麗人』

石井輝男は、新東宝で渡辺邦男の「エノケン映画」のサード助監督をしていた。

あるとき、撮影の休憩時に、、つい「先生は、もう少しマシな映画をお撮りになったらいかがですか」口をすべらせてしまった。

すると渡辺天皇は真っ赤になって怒り「貴様は、俺がなぜ100本を越える映画を撮れたのか、理由を言ってみろ! 言え、言え!」と詰問されたそうだ。

そこで石井は「先生はどんな時でもモラルだけはきっちつと守られてきたからでしょう」と答えると大いに喜び、ご機嫌になって、

「そうだ! 石井ね、俺も本当はこんな映画なんか撮りたくないのだよ!」

「先生が一番作りたいものはなんなんですか」

「マルクスの資本論だ」

と渡辺が即答したので、石井は「反共の闘士渡辺邦男が資本論!」と仰天したそうだ。

だが、渡辺邦男は、反共であるが、ロシア共産党の暴力革命に反対であり、彼は早稲田大学時代は、浅沼稲次郎らと同じ建設者同盟の一員だった。

それは多分西欧風の社会民主主義であり、反共とは言っても社会主義そのものに反対なのではなく、彼は本来はまじめな人だったと私は思っている。

『麗人』は、1946年5月に東宝から公開された。

この時期は、米占領軍の強い指示もあり、溝口健二は田中絹代で『女性の勝利』を、今井正は『民衆の敵』を作るなど、民主主義映画の時代だった。

5月2日には、戦後最初のメーデーを記念する作品、山本嘉次郎・黒澤明・関川秀雄の共同監督映画『明日を創る人々』が公開されていた。

よく知られているように、黒澤は、これを「組合に作らされた作品だ」として、自分のリストに入れていない。

『明日を創る人々』が組合に作らされた映画なら、戦時中の『一番美しく』は、情報局に作らされた映画であり、作品歴に入れているのは筋が通らない。

『麗人』は、1946年5月16日に公開され、脚本は八住利雄、監督は渡辺邦男、主演は原節子と藤田進である。

大正初期、市電の争議集会に巻き込まれた学生藤田進は、男爵令嬢の原節子との逢瀬に行けず、原は没落する家のため、九州の大実業家に嫁す。

この進藤英太郎が演じる実業家が絵に書いたような無知文盲で冷酷、吝嗇の塊のような男で大いに笑える。

進藤は、原節子のことを「家のお人形さんだ」と言っており、過剰な贅沢をさせているが、どうやらセックスはしていないように見える。

進藤の会社で待遇改善のストライキが起き、工員たち(ここでは職工だが)、生活の悲惨さに原は、進藤の家を出て、運動の支援に回ってしまう。

そこで、労働組合連盟のオルグになっている藤田進と再会する。

最後は、進藤英太郎から原節子が「離縁状」を貰い、藤田と結ばれてハッピーエンド。

ときどき古賀政男の歌が入る事、筋書きがあまりにも図式的なことを除けば相当に面白い映画である。

そして、原節子の髪型が、髪をべたっと押さえた「おすべらかし」のような形にしているのが見ていて気になった。

その理由は、この映画がサイレント時代の島津保次郎監督、栗島すみ子主演の映画『麗人』のリメイクだからのようだ。

さらに、この物語は、女流歌人柳原白蓮のことをヒントにしているのは間違いなく、白蓮が結婚した伊藤伝右衛門は、大変な男だったようだ。

花澤徳衛、戸田春子、田中筆子、清水将夫など、東宝ストライキの後は東宝を離れる役者たちが多数出ている。

衛星劇場

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