多くの方がご存じだろうが、この映画は、1965年にインドネシアで起きた「9・30事件」を描いたものである。
9・30事件とは、インドネシアで左派急進派若手軍人によりクーデターが計画され、それを阻止するために軍中央によりカウンター・クーデターが起こされ、それによってスカルノ大統領の失脚とスハルト政権の成立になったものである。
その間に、約100万人の共産党員と同調者が殺されたと言われる事件である。
当時、スカルノは親共的政策を取っていて、北京(中国)、プノンペン(カンボジア)、ジャカルタ(インドネシア)枢軸とまで言われたほどだったが、これによって崩壊した。
この映画は、当時共産党員殺害をした加害者であるギャングと言うべきか、地域のボスと言うべきか、日本で言えばかつての院外団のような連中に、殺戮の様子を彼らに再現させるドラマである。
記録映画作家の原一男は、自分の作品を、自分が撮影の対象にアクションを与えることにより、その対象が起こす結果を映像化する意味で、「アクション・ドキュメンタリー」と呼んでいるが、これはフィクション・ドキュメンタリーと言うべきものだろうか。
その結果は、非常な悪趣味になるが、その最高は、彼らが大好きだという映画『野生のエルザ』のテーマソングの「ボーン・フリー」に併せて歌い踊るところである。
これは何を意味しているのだろうか、ケニアでイギリス人の手によって育てられたために野生を失ったライオンのエルザのように、アジア、アフリカ等は、すでに本来の文化を喪失し、野生に戻ることはできず、一種の「悪趣味のような文化になるしかないのだ」と言っているのだろうか。
悪趣味文化という点では、ほとんどアメリカ文化そのものになってしまった日本も同じようなものなのだろうか。
シネマジャック&ベティ