横浜のみなとみらい地区の「汽車道」が出てくる映画は、と書いたが、やはり『零戦燃ゆ』だった。
1984年の製作で、みなとみらいの埋立事業が開始される以前なので、まだ使用されている頃だった。
映画の中盤で、主人公の3人、堤大二郎、橋爪淳、早見優の内、整備兵になり、南方で負傷して内地に戻った橋爪が早見と再会するシーンだった。
明らかに、大きく湾曲した線路、岸壁、さらに物揚げ場と木造の構造物もはっきりと映っている。
これを見て気づいたのは、今の「汽車道」は、物揚げ場部分など、かなり削って小さく細くしていることだ。
大きく水面を確保するために、最小限の遊歩道にしたのだろうと思う。
国吉直行さんのご苦労がしのばれるところである。
こうした戦争映画は、非常に評判が悪かったが、脚本が元海兵団出身の笠原和夫、監督も戦争の経験のある舛田利雄なので、むしろ反戦映画であり、よくできていると思う。
ただ、石原裕次郎の歌は、少し軽くてピント来ない感じがするが。
また、言うまでもなく零戦を開発したのは、、三菱重工の名古屋工場だが、工場のシーンの多くは、杉田の日本飛行機の工場などを使っているように思えた。
こんな、このシーンはどこで撮影されたのか、など気になるのはくだらないことだとは思うのだが。