スキヤキから「成田亨展」へ

日曜日は、午前中はヘリオス会場にいようと、これまた石動から庄川に行くバスの時間表を前日に停留所で見ておき、9時すぎに会場につく。
まだ、テントの屋台等は閉まっていて、スチールパン・オーケストラの連中がセットの準備をしている。
10時になり、アートセンターという会場に入り、映画のDVD上映。
『ジュピターのダンス』という、バンドのリーダーのジュピターがキンシャサで、活動している模様の約1時間のビデオ。
中では、日本にも来て、映画も上映された、コンゴ民主共和国の身体障碍者のバンドであるベンダ・ビリリの様子も出てくる。
2006年製作で、モブツ政権が終わった後の混乱の時代のことなので、停電が常態化しているなど、キンシャサの混乱、無秩序がすごいが、彼らの音楽は大変な人気である。
ここでも従来の旧ザイールの「リンガラ・ミュージック」ではなく、むしろ「イケイケ」的なもののように思えた。
終了後、トーク・ショーもあったが、司会、通訳ともにひどくて、ジュピターの音楽のことはよくわからなかった。

昼過ぎに、会場の外で、実行委員長の橋本正俊さんと会い、少し話す。
彼は3代目の委員長であり、彼の代の6年前からパレードを始めたこと、まだまだ地元でも賛成しない人はいることなどを聞く。

駅まで食事した後、富山に行き、タクシーで美術館に駆けつける。
昨日の食事の時、「成田亨展」が富山県美術館で開催されていることを知ったのだ。


成田亨は、戦後に武蔵野美術大学を出た彫刻家なのだが、大学在学中に『ゴジラ』の美術をアルバイトで手伝ったことから、東宝の特撮美術に参加し、円谷プロや東映で活躍されたのである。
代表的な作品は、ウルトラマンの顔の造形で、あれは弥勒菩薩なのだそうだ。

また、東映でも多くの特撮作品に参加されているが、今井正の映画『越後つついし親不知』で、海に張り出した木造の小屋のような家も、彼が特撮で撮ったものだそうで、実際にあのような家はないそうである。さらに、第二東映のタイトルの阿蘇山が噴火するシーンも彼の特撮だそうだ。
「戦災の焼け跡は成田氏の得意だった」そうで、和田誠監督の『麻雀放浪記』の冒頭の焼跡のシーンの特撮セットが再現され、カメラで覗けるようになっていた。
時間がないので、ざっと会場を見て、図録を買って駅に戻る。
富山から特急で、高岡、金沢から米原を経て岐阜に行き、高山線に乗換えて各務ヶ原に着く。
当初、蘇原という駅からが一番近いとホテルに聞き、蘇原に下りたが、何もない駅で車など来ない。
もう一度電車に乗って次の各務ヶ原に行き、駅の外に出るが、これまた車は多く走っているがタクシーなどない。
電話しようとした時、2台車が来る。
忘れ物をした人が呼んだらしく、1台に乗って宿泊のコパン各務原に行く。
スポーツジム等も含むもので、このホテルは、この辺ではかなりあるとのこと。
忙しくて疲れたが、充実した一日でもあった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする