『慟哭』

1952年、佐分利信が監督した作品で、評価は高く、「キネマ旬報ベストテン」では10位になっている。
話は、新劇団のことで、内幕ものであり、『イブの総て』の日本版と言われている。
気になっていたが今まで見たことがなく見ると非常に面白く、例えて言えば、強引な演技指導のない増村保造映画といった感。

芸文座という新劇団のことで、顧問の劇作家佐分利信の妻で、長く精神を病んでいた丹阿弥谷津子が死に、その邸宅での葬式に劇団員が来る。
俳優座総出演なので、千田是也以下の新劇人が多数出ている。
夜に降り出した雨で借りた傘を返しに来たことから、劇団の研究生の阿部寿美子が佐分利の家に来て、そこから二人の関係が始まる。
と言っても、当時の映画なので、セックスは一切なく、キスも抱擁もない精神的なものである。
要は、小悪魔的な少女(若い頃の加賀まりこ)に惑わされる中年男の話で、小姑的な役の阿部寿美子が演じていうのは驚く。
だが、阿部寿美子は、意外な映画に結構出ていて、新東宝の前田通子の『女競輪王』にも敵役で出ている。

佐分利は、劇団の看板女優木暮実千代と恋仲だったこともあり、劇団の芸術祭参加の新作劇を書き下ろすことになる。
劇作のなかで、彼は次第に主役を若い阿部を想定するようになり、ついには木暮ではなく、阿部を主役としたいので、彼女を演技研究のため木暮の家に住み込ませて修業させることになる。
この木暮の家は成城で、佐分利の家は鎌倉あたりだが、演劇人が大邸宅に住んでいるのは、信じがたい気がするが。

最後、阿部は木暮と喧嘩して家出し、探しに来た演出助手の三橋達也と出来てしまう。
阿部は、劇団をやめて大学に戻り、佐分利は、新作を破棄して終わる。
この映画は、戦後の若い世代と戦前の中年世代との齟齬を描いているが、この2年後、日活が制作を再開し、石原慎太郎が『太陽の季節』でデビューする。
それは、まさに戦後世代の台頭を告げるものだった。
シネマヴェーラ渋谷

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コメント

  1. なご壱 より:

    成城の大邸宅
    シネマベーラでの阿部寿美子のトークショーで、彼女は、木暮三千代の扮した神近の大邸宅は、成城にあった江川宇礼雄の家でロケしたと言っていました。彼女も「新劇の俳優では、あんな家には到底住めませんが」と言っていました。それから千葉の造り酒屋が立派だったとのこと。佐分利は、ほとんど演技に注文を付けなかったそうです。また両国駅でのロケが印象に残っているとのこと。

  2. さすらい日乗 より:

    なるほど
    江川宇礼雄の家とは驚きですね。
    両国駅に阿部寿美子や三橋、さらに佐分利や木暮が来ますが、これは総武本線は、当時両国がターミナルだったからだと思います。