春から小津安二郎について考えている。
その中で、戦前の昭和10年代について、特に調べている。現代詩で言えば、鮎川信夫以下の荒地派の連中にとって、昭和10年代は、戦争に向かう絶望の時代だった。
だが、彼らより少し上の、福永武彦、加藤道夫らにとっては、昭和10年代は、幸福な黄金時代だったようだ。
そのことに最初に気づいたのは、劇団四季の加藤道夫作の『幸福を売る男』を見た時だった。
そこでは、戦後の荒廃した街頭で、男が幸福だった戦前の時期のことを回想する。
それは、フランス映画、シャンソンの流れる東京であり、モダニズムが開花した若者の時代だった。
つまり、昭和10年代は、14、15年頃を頂点に、経済的には満州事変以後の軍需景気もあり、好況でモダニズムが大都市では花咲いた明るい時代だった。
戦争は、15年戦争と言われるように満州事変以降、継続して続いていたが、本土とは遠い中国での戦争であり、動員もまだ総動員体制ではなく、普通の庶民には戦争は遠い世界のことだった。
ジャズ、トーキー映画、カフェに代表されるモダン文化、消費文化が都市では氾濫し、若者はそれを享受した時だった。
それの象徴が、1940年の東京オリンピックの開催であり、古川ロッパの歌『東京オリムピック』に見られるように、非常に楽天的に来るイベントを歓迎していた。
少なくとも、ロッパのような西欧派というか、アメリカ被れの連中にとっては、1940年の東京オリムピック開催は、日本の西欧化を象徴するような意義のあったイベントだった。
だが、言うまでもなく日中戦争を理由にオリンピックは延期され、その代わりに実施されたのは、紀元2600年という日本的なものだったことは、時代の転換を現す上で非常に象徴的だったと言える。