日本のプロ野球の選手に台湾出身の呉昌征がいたことは、昔一緒に巨人にいた解説者の青田がよく話していたので知っていたが、甲子園の決勝にまで行っていたとは知らなかった。
この映画の主人公の呉明捷は、巨人にいて俊足巧打の外野手で野球の殿堂入りしている呉征昌の兄の投手で、早稲田ではホームラン記録7本も残したが、プロには入らなかったとのこと。
因みに東京六大学野球のホームラン記録7本を抜いたのは、長嶋茂雄である。
この台湾映画は、1931年の甲子園大会に台湾の嘉義農林中学が出て、大活躍をしたことを描き、台湾では大ヒットしたそうだ。
監督は、日本の松山商業から来た永瀬正敏の近藤兵太郎で、体力に優れている台湾や中国の選手に過酷な練習をさせて一流のチームに仕立て、その時は好投手の呉明捷の活躍で決勝戦に行く。
ただし、指の爪が割れて出血し、最後は相手の小倉商業に敗れる。
この件は、ややお涙頂戴的だが、他はほとんど違和感なく見ることができた。
ただ、問題は、こういう実話を基にした映画の場合、見る者は映画に感動しているのか、それとも台湾のチームが活躍したという事実に感動しているのか、一体どちらなのだ、という問題がある。
演出家鈴木忠志の理論によれば、演劇は役者の演技のみで見る者を感動させるべきで、主題や題材は余計だということになり、映画も同様である。
ただ、私はそれほど厳密に考えなくても良いという立場である。演劇や映画は、本来純粋性の低い分野なので、テーマに感動することがあっても良いと考えている。
ただ、この映画を見て疑問に思ったのは、ラジオの中継アナウンサーが「すごいスライダーですね」と何度も変化球のことをスライダーと言っていることである。
ご承知のように、日本人でスライダーを最初に投げたのは巨人の藤本英雄(中上英雄)で、彼は明治から巨人に入った速球派の投手だった。
だが、戦時中に投げ過ぎで肩を壊してしまった。
そして戦後偶然にスライダーを取得し、それで復活して1948年の日本で最初の完全試合投手になったのである。
では、戦前は変化球のことをなんと言っていたか、もちろんカーブである。
そして少し大きく縦に落ちるカーブのことはドロップと言い、巨人の堀内が投げていた。
決勝戦の解説者はどこかで見たような人間だと思っていたら、元ロッテの水上善雄だった。
水上も地味だが、結構良い遊撃手だった。
黄金町シネマ・ベティ