橋本忍というと、デビュー作の『羅生門』以来、黒澤明の関係が強く、ほとんど一心同体のように思われているが、この作品を見て、あらためて全く異なる、むしろ対照的な作風であることがよく分かった。
それは、観念的な黒澤明とリアリズムの橋本忍との違いである。
実際に大阪で起きたという銀行強盗事件を基に、新橋の銀行を三国連太郎が襲う経緯を徹底的なリアリズムで追っている。
三国は、山師のような男だが、一方で緻密で計算のできる人間でもあり、銀行の隣にある交番に目を付け、これをまず襲って、銀行に突入し、金を奪って逃走する計画を立てる。
それは、恋人の医者の久保菜穂子に医院を建てさせるためでもあった。
警官の高原駿男、銀行の出納係今井俊二、タクシー運転手伊藤雄之助の日常生活も克明に描かれていく。
青森から出て来た高原は、部長試験に懸命で、今井は、恋人との結婚を控えており、伊藤雄之助は、田舎の妻菅井きんを捨てて同棲していたキャバレーの女星美智子との生活を事故を期に清算し、菅井ら家族を東京に迎えて真面目に生きていこうとした日だった。
三国は、予定通り交番に高原が一人でいる時に入って襲うが、意外にも高原に強く抵抗されたため拳銃で撃ち殺してしまう。
すぐに銀行に突入して現金袋をつかんで逃げる時にも、今井を撃ってしまう。
外に待機させていたタクシーは三国の姿に走り去り、別のタクシーで逃走するが、パトカーが一斉に追ってくる。
それは伊藤雄之助の車で、彼も三国に射殺され、車から出て埋立地を逃亡するが、逮捕されてしまう。
1年半後、三国の死刑が執行される。
青森の村では高原の法事が行われていて、今井の母親村瀬幸子は、死刑の報を聞いても特に反応はなくいずれ精神病院に入ることが妹の三戸部スエから告げられる。
伊藤との間の4人目の子ができた菅井きんは、デパートで乳児用品を万引きして捕まっている。
橋本の脚本で、監督は村山新治、この頃は非常に良かったが、後には「夜の青春シリーズ」等の風俗的作家になってしまう。
撮影が仲沢半次郎(仲沢博)で、この人は元々は東宝にいて、ストライキで首になり独立プロを経て東映に来たが、リアリズムの画面が素晴らしい。
役者は、高原と同じ村の清村耕史、村瀬幸子と三戸部スエ、三国の神戸での友人が成瀬昌彦など、ほとんどが青俳、俳優座、青年座など完全に新劇俳優映画である。
要は、「悲劇の基はすべて貧困である」と言っているわけで、1960年の秋は、そのようなものだった。
だが、この年から開始された池田内閣での経済の高度成長は、日本から貧困をほとんどなくしてしまうのである。
大変結構なことだったわけだが。
阿佐ヶ谷ラピュタ