『女たちの証言』

「労働運動のなかの先駆的女性たち」とサブタイトルされた作品で、社会主義運動の研究家石堂清倫氏の主催で、戦前に日本共産党系の運動に係わった女性たちによる証言の記録。

山内みな、福永操、丹野セツ、鍋山歌子らで、監督の羽田澄子と沢地久枝らが聞き手になっている。

                                              

興味深いのは、運動史的には有名な彼女たちが、1982年のこの座談会で初めて会ったことで、戦前の共産党の組織は完全に上下構造で、弾圧されたときのことを恐れ横のつながりは意図的に作らせず、全くなかったことだ。

それは、非合法運動だったソ連共産党の細胞を基礎とした運動論・組織論の直輸入の結果である。

女性の地位は異常に低く、特に党内の労働者出身の党員からは露骨な差別を受けたそうで、大学生はそうでもなかったというのは、戦前の日本の社会構造を強く反映している。

そして、それはハウスキーパーに代表される女性を単なる物として扱う体質へと進んでいく。

先日見た山川菊枝の伝記映画『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』には、「労農派」の山川均・山川菊枝夫妻の周囲にも、若い男女が多数いたそうだが、そこにはこうしたものはなかったとしていた。

講座派と労農派の意識の差を感じさせる。

とすれば、やはり日本の共産主義運動の間違いは、「福本・山川論争」の中で、観念主義的で教条的な福本和夫理論を採用したことが大きく、その最初の躓きは戦後まで尾を引いたというべきだろう。

要は、人間性の問題でもあるのだが。

鍋山歌子は、当時のマネキン、今のファッションモデルだったそうで、女優の原泉も、同様で、マネキンをしていた女性は結構いたようだ。

堀川弘通の秀作『別れて生きるときも』にも、主人公の司葉子がマネキンをする挿話があったはずだ。

中では、荻窪で小さな洋裁店をやっている橘さんというご高齢の女性の姿に感動した。彼女は、一共産党員として毎朝「赤旗」を不自由な体をおして商店街の店々に配るのである。

恐らく商店街では変わり者の「共産党おばさん」とされていると思うが、こうした普通の党員に共産党もかつては支えられていたのであるが、今はどうなのだろうか。

フィルムセンター小ホール

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