中学3年の社会の授業で、院政について、これによって藤原等の貴族から天皇家の力が強くなったとの説明があった。その時、私は聞いた、
「なぜ院政で天皇の力が強くなったのですか?」と。
教師の説明は今考えると傑作で、
「天皇と院と双方から命令が出て、複線化されたので天皇側が強くなった」
先生も全く院政の本質をご存じなかったことが、この本でよく分かった。
岡野先生によれば、なぜ院政が始まったかと言えば、当時天皇は、天皇家が所有している資産(荘園になるが)を管理運営できなかったからだそうだ。
これに対し、天皇を退位した院、上皇、法皇、治天の君は、天皇家の財産を自分ものとして自由に使うことができたからだというのだ。
要は、古代においても、天皇という政治権力と、その家が持つ経済的力は分離されていたのである。だから、院は経済力を使って武力を蓄えることもできたので、これが古代末の騒乱の種の一つになる。
あるいは、天皇は宮中祭祀を司る宗教的存在なので、経済のことに関わることは宗教的能力に差しさわりがあると思われたのかもしれない。
この時期の天皇の重要な役割に巫覡的能力があり、この頃には、10歳程度で天皇が即位している例があるが、そうした能力はむしろ幼児の方があると思われていたのかもしれない。
だが、面白いのは、源平時代から鎌倉時代になると、こうした天皇家と周囲が所有する荘園は、天皇家の女性たち、つまり内親王によって相続されるようになる。これも一種の政治からの経済力の分離なのだろうと思う。
これが、後の南北朝時代の騒乱の元となる大覚統寺と持明院統との争いの原因で、鎌倉幕府は、この二統の争いをわざとやらせたというのだ。
「へえ」と思うが、古今東西、分割統治は権力者の使う手なので、これもそうなのだろうと思う。
長い間の疑問が解けた本だった。