栃ノ心の優勝に因んで、横浜市役所にジョージアに行った職員がいたと書いた。
だが、ご本人の上野さん、田中さん、さらに関係していた石森さんに確かめると、ジョージアには行っていないとのことだった。
記述した3人の方には、ご迷惑をおかけしお詫びします。
しかし、その代わりに、ジョージア、当時のグルジアの首都トビリシ市から3人の代表団が来た。1991年7月、パシフィコ横浜で開催された「国連ピースメッセンジャー都市会議」の際である。
上野さんの話だと、代表団の3人は驚くことに現金を一切持たずに来日し、そして東京のソ連大使館に行ったとのこと。当時、グルジアはソ連邦だったので、大使館で借りてきたのではないかとのことだった。
石森さんは、当時すでに国際室の課長ではなかったが、関連行事に駆り出されて中区某所で彼らと酒を酌み交わしたそうだ。3人のうち、1人は明らかに共産党員のように見えたとのことだ。
当時、中国や共産圏などから代表団が来ると、中に必ずなにもしていないが、偉そうな人がいたもので、その男は共産党員で、メンバーを監視しているのだろうと言われたものだ。
グルジアも、ソ連邦から離れ、ジョージアとなって「自由な国」になっているようなのは良いことだと思う。