昔、村上一郎という思想家がいた。
一時、共産党員だったが後に離党し、吉本隆明、桶谷秀明らと共に『試行』の同人だった。
この人は、無名だったが、1975年に自死したので一躍有名になった。
新左翼的にみられていたが、三島由紀夫や北一輝なども大きく評価していて、かなり独自の立場にいた。
相当に変わった人だったらしく、桑沢学園で習った人に聞くと、講義中にいきなり一人で能を演じたりしたそうだとのこと。
彼も、大学から学徒動員で海軍に行き、中曽根康弘氏とも一緒だった。
1945年8月の日本の敗戦の時、村上一郎は、憤激に耐えなかったようだが、その時中曽根氏は、
「まあまあ、そんなに怒らずに・・・」と平静だったとのこと。
その実は、茫然自失だったのかもしれないが。
その後、1947年に中曽根氏は国会議員になるが、その過程には結構いろいろな事情があったのではないかと私は推測する。
ちなみに、村上一郎氏は、劇作家久保栄の弟子だったことがあるが、久保も自殺している。
久保は、うつ病だったようだが、村上氏は躁的な状態だったのだろうか。
村上一郎を久しぶりに思い出したので、書いておく。