今週なくなられた元横浜市会議長の大久保英太郎さんの悪い面を書いたので、今日は優れたことを書く。
彼が、大変頭の良い方だったのは多くの人も知っていただろうが、それ以上にすごかったのは、祝辞、弔辞等の挨拶の上手さである。
私も、長い間様々な人の挨拶を聞いて来たが、上手かったのは大久保さんと元神奈川県知事の長洲一二さんである。
長洲さんは、その時々の流行語を取り入れて挨拶するのが上手だった。
樹木希林と岸本加世子のフジ・フィルムのコマーシャルで、「きれいな人はよりきれいに、そうでない人もそれなりに・・・」というのがあった。
なんだったか忘れたが、県民ホールでの何かの大会の時の挨拶で、長洲さんは「そうでない人もそれなりに・・・」と言って満場の喝采を得た。
大久保さんのは、そうした気の利いたと言うものではなく、もっと心情に訴える感情的なものだった。
あるとき、元市会議員だった方がなくなり、その葬式が市会議員葬として行われた。
そのとき、議長だった大久保さんが弔辞を当然に読むことになり、秘書だった私が原稿を書いた。
勿論、その方は議員を辞めて10年くらいたっていたので、私は人柄等は全く知らず、経歴を読んだのみで書いた。
大久保さんは、私の書いた弔辞を一応読んだ後、こう言った。
「Sさん、私はこんな通り一遍の弔辞なんか読みたくはなかったのだ・・・」
と言って、自分との関わりを滔々と述べ、聞くものの涙を誘ったのである。
「参ったなあ」と思った。
多分、大久保さんは、「知りも知らない人間に形だけの弔辞など書くな」と言っているのではないかとそのとき思ったものだ。
あるとき、大久保さんと雑談になり、小さいとき何になりたかったのか、と言う話になった。
多分、1月15日の成人式のときで、午前と午後の部との間、大通り公園近くの喫茶店で食事しているときだったと思う。
大久保さんは言った。
「僕は落語家になりたかったんだよ」
実際に、ラジオ、テープ等はよく聞いているとも言っていた。
「へえ・・」と思ったが、落語の間、落ち、抑揚などは、挨拶するには確かに大変参考になるだろう。
小泉純一郎元首相は、音楽、演劇、映画等を愛好してしていたが、こうした芸能で得た挨拶やフレーズの上手さは、政治の場にも良く生かされていたと思う。
挨拶も言ってみれば、一種の「話芸」なのだから当然と言えば当然だろう。