戦後、自治体警察があった。言うまでもなく、アメリカの戦後民主化施策の一つで、戦前の国家警察制度を廃止し、人口5,000人以上の自治体に警察を設置させた。そして、この上に国警県本部が置かれ、重要事件の捜査に当った。
例えば、松川事件の捜査に当った玉川警視は、「国警福島県本部玉川警視」といった具合に。
そして、この自治体警察制度は、昭和23年から29年まで続いた。
当然、横浜市にも横浜市警察本部が、横浜駅東口にあった。用地は、神奈川県が持っていたものを受け継いだものだったようだ。
ところが、昭和29年の警察法の改正で、自治体警察制度は廃止され、横浜市警察本部も神奈川県警察に統合されることになり、その本部用地も不用になった。
そこで、それに目を付けた人たちがいて、跡地の払い下げを受けようとした。
細かい経緯は忘れたが、現在行われているような、公開入札といったものではなかったらしい。
そして、この「跡地払い下げ問題」は、市会で問題になった。
いつ、どこで見たかは忘れたが、この横浜市警察本部跡地払い下げ問題は、横浜市政界で大問題となる。
だが、結論を言えば、最後までは究明されなかったようだ。
結果、(株)横浜米油という、当時横浜の中央市場で米油や石油を扱っていた会社が用地を正式に入手した。
その裏には、鶴見区の自民党有力議員だった横山健一氏らが動いていたらしい。
横浜米油の社長は熊沢という方で、一種の「政商」だったようだ。
前にも書いたが、昭和20年代までは、日本のそこかしこに、大は田中角栄の刎頚の友と言われた小佐野賢治氏から、小は横浜の熊沢某に至るまで、行政との間に様々な政商が暗躍していて、それはさして不思議なことではなかった。
その横浜米油が、所有するのが横浜プラザホテルである。
職場の管理職の忘年会が、このホテルで行われた。
料理もサービスもさして悪くはなかったが、内部のインテリアは古く、リニューアルが全くされておらず、地方のさびれたビジネスホテルのようで、ここが横浜駅に一番近いホテルだということを忘れさせてくれた一夜だった。
横浜駅東口駅前の一等地にありながら、なぜか「日陰の花」のようにひっそりとたたずんでいるのは、その出自があまり祝福されたものではなかった性なのだろうか。