『公安検察』の緒方重威は、1969年10月21日、国際反戦デーのとき、新宿駅ビル2階の警備本部にいて、東口の状況を見下ろしていたそうだ。
新宿騒乱事件のときである。
この夜、私は国会議事堂から四谷にいた。
この日、当時の過激派各派は、それぞれ別の目標に向かって攻撃することになっていた。中核は、新宿、ブンドは防衛庁、社青同は、国会議事堂と。それぞれ言い分はあったが、要は自分が決めたところに突撃していくと言うことである。
私も、どこに行くか迷った。一番ことが大きそうなのは、言うまでもなく新宿だった。
だが、なぜか行く気がしなかった。中核派というのは、大衆迎合主義なところがあり、多分嫌いだったのだろう。
早稲田大学にいる身としては、早稲田の主流派である社青同に付いて行くべきだという、変な早稲田民族主義にとらわれていた。
クラブの先輩も、「今日はいろいろあるが、社青同に付いて行くのでいいんじゃないか」ということで、彼らに同行することにした。
夕方になり、全国から社青同の学生や労働者が続々と集まってきた。
多分、5千人以上いただろう。
そして、夜国会議事堂に向かう。
行くと、先頭の部隊が何度か正門を攻撃した。勿論、びくともしない。何度かしつこくやったはずだが、全く変わりはない。
「これは何も起きないな」と歩いて、四谷に行く。
そこでは、革マル派が、これも5千人くらいが、道路に座り込んでいる。
指揮の指示に従って、整然と行動している。
そのとき、先輩と期せずして同じ台詞を言ったのだ。
「まるで民青みたいだ。なんて気持ちの悪い連中なんだ」
このとき以来、革マル派嫌いは一層強くなった。
数週間後、映画館で10・21のニュースを見た。
新宿東口から、今でもある大きな映画の看板を押し壊して数千人の学生、群集が駅構内に雪崩込んでいる。
まるで、イナゴの襲来のようだった。
あの日、社青同に義理をたてて国会に行ったのは、一生の痛恨事だと思った。