朝鮮総連本部の所有権を売買移転させようとして、それに元公安調査庁長官の緒方重威が関わっていたのは、実に不可解な事件だったが、その経緯が本人により書かれた。
「事実は小説より奇なり」と言うが、まことに驚くべき内容である。
緒方は、父親も満州国で検事をやり、戦後は公安調査庁の設立にも関わった「右翼的」人物だった。
彼は、「思想検事」として、共産匪賊討伐にあたっていたとのことで、中には金日成(金正日の父ではなく、戦前から朝鮮でゲリラ活動をしていた初代金日成)もいたそうだ。親子二代にわたって北朝鮮に深く関わってきたのだ。
息子緒方重威も、公安検察畑を歩き、ついには仙台高検検事長にまでなる。
彼は、これを大変な名誉と思っていたらしく、何度も本書の中で「天皇からの認証官となった私が」と書いている。
認証官とは、戦前は「高等官」と呼ばれ、一部の高級官僚のみに与えられる称号で、天皇から直接辞令を受けたし、現在も天皇から辞令を受けている。
その認証官たる緒方が、ヤメ検になった後、なぜ北朝鮮の朝鮮総連本部の所有権移転事件に関わるようになったのかは、是非本書をお読みいただきたい。
一番驚くのは、この事件の立件を強力に進めたのは、安倍晋三元首相だということだ。
特に、ノンキャリながら秘書官となり、今回小田原から無所属で衆議院選に出て、当然落ちた井上義行あたりが強力に推進したのだろう。
本書には書かれてはいないが、この井上と言う人は、大変興味深い人物である。
極貧に生まれ、大学にも行けなかったので、旧国鉄に入る。
そして分割民営化で、総務省に移籍する。
そこで、名を上げ、ついには北朝鮮強硬対策で、安倍元首相と意気投合し、秘書官に抜擢されるのである。
そうした彼の人生の怨恨が、あるいは、緒方のようなエリートへの反感となって、緒方の立件を強力に進めさせたのかもしれない。
全く馬鹿と言うほかはない。
よく、反体制的組織の認識に、「政府自民党は」など、権力を常に一体として見る見方がある。だが、権力と言うのは、そんなに単純ではなく、その内部には様々な人間、グループ、派閥が動き、複雑な実態があることがよく分かる。
1969年10月の新宿国際デーのとき、緒方は新宿ルミネ2階からその動きを見下ろしていて、騒乱罪適用の可否を考慮していたそうだ。
当時取調べをした学生運動の指導者についての批評が面白い。
社学同の藤本敏行は、正々堂々とし、デモでも常に先頭に立ち、立派だったが、中核派全学連委員長の秋山勝行は、陰湿で、デモでもすぐに一般の列に逃げ、そこから指令を送り卑怯で嫌いだったなど、社学同・ブント系と革共同系の陰湿な陰謀家組織の違いが浮き彫りにされていて、鋭い。