三船敏郎の『宮本武蔵』を見ていたら、武蔵が江戸馬喰町の宿で蕎麦にたかるハエを箸でつまみ、それで博労(田中春夫、とてもいい役者だ)が武蔵と知るシーンがあった。
しかし、江戸の初期にはもり蕎麦はなかったはずで、本当はおかしいのである。
『忠臣蔵』の討ち入りのときに蕎麦屋の二階に集合したというのも、勿論嘘なのだ。
そんなことをしたら「凶器準備集合罪」で一網打尽にされたであろう。
彼らは慎重に数人毎に別れて集合したのである。第一、江戸初期に47人も入れる蕎麦屋はなかったろう。
昨年、テレビで放送された某局の『忠臣蔵』では、蕎麦屋から全員が一列縦隊で走って本所に向かったが、じゃらじゃら音を立ててはすぐに全員逮捕だ。
いかに日本の社会は武装闘争に疎いかの見本だった。