土曜日は、午前中阿佐ヶ谷で映画を見た後、国士舘大で開かれた日本映画学会の例会に行く。
年1回の総会が12月に関西地区で行われるのに対し、ほぼ6月頃に関東で開催されているようだ。
少し遅れて行ったので、最初の正清健介(一橋大博士課程)さんの「映画『父ありき』における列車表象ー小津安二郎の演出技法」は最後の5分くらいしか聞けなかった。
1942年の『父ありき』を素材に小津安二郎の演出技法を分析したものだが、終了後の質問で、「あるシーンとあるシーンの時間はそれぞれ何分か」と言うだったのには驚いた。
各シーンの時間をどうするかは、小津と編集の浜村がカットジリを何コマにするか議論したように、監督や編集者にとっては大問題であろう。
だが、その効果を特に研究するとするならばともかく、普通の研究者には大したことにはならないはずだからである。
2番目の中国の劉韻超(東北大博士課程)さんの「『楊貴妃』における中国古典文化の受容と中国語映画への逆影響」は、溝口健二の『楊貴妃』の成立過程とその後の中国語映画への影響を述べたもので、大変面白かった。溝口健二の『楊貴妃』は、日本国内では評価の低い作品だが、非常に面白い映画で、私は好きな部類に入る。
ただ、多くの映画で転落する女を描いた溝口には、この映画の主人公の楊貴妃には接点がなく、やや中途半端な感を与えるのである。
その意味では、次の『新平家物語』では、清盛の母で、後白河上皇から平忠盛に払い下げられた気位の高い貴族の女・木暮美千代が、最後平忠盛と別れて、貴族と戯れているところには、戦前、戦中、戦後の女性を象徴するものがあるのに、である。
3の西岡英和(宮澤動画工房代表)さんの「持永只仁の再評価」は、戦時中に優れたアニメを作った持永の膨大な資料を基にした労作。
持永については、森直也の『アニメーション・ギャグの世界』で書かれているが、懇親会で西岡さんに聞いたところでは、あそこには誤謬も多いとのこと。
実際の作品も、パワーポイントで上映され、宮崎駿の『紅の豚』が、持永の『フクちゃんの潜水艦』から多くのシーンを引用していることには驚く。
4の井口祐介(筑波大博士課程)さんの「ゆらぎ続ける「映画の語り手」の視点」は、ドイツ映画『白いリボン』を題材に、映画の語り口を分析したもの。
少々難しかったが、映画や演劇との関係で非常に興味深いもので、私は鈴木忠志理論と関係づけて質問させていただいた。
最後の、会長に就任された大阪大学の山本佳樹先生の講演は、非常に驚くもので、1960年代に、イタリアの西部劇に先行して西ドイツ、さらには東ドイツでも西部劇映画があり、大ヒットしていたとのこと。
世界中で大衆文化が同時代的に起こっていたという私の考えの例証の一つであり、私も今後もこうしたことを検証してみようと思う。
私のように、単独で映画や演劇を見て勝手なことを考えてきた人間が一番気をつけることは、独善的にならないことで、こういう機会は大いに参考になった。
国士舘大に初めて入ったが、大変立派できれいなには驚く、部活の掲示に「皇国史観研究会」と言うのがあったのはさすがである。
コメント
新平家物語
>気位の高い貴族の女・木暮美千代が、最後平忠盛と別れて、貴族と戯れているところ
木暮美千代が演じる祇園女御は白拍子ですから、「貴族の女」ではありません。
映画の最後も、雷蔵演じる清盛が、「母上は娼館の女主人になってしまわれた…」と述べるわけで、「戦前、戦中、戦後の女性を象徴するもの」なんでしょうか?。私にはそうは思えませんが。
『新平家物語』は大好きな作品なので、続編が制作されなかったのが残念です。
ご指摘ありがとうございます
ああ、白拍子でしたね。
あの木暮美千代が象徴するものは、戦前、戦中、そして戦後の激動の中で、まずは既存の権力のものになり、次には武士という新興勢力の下に入り、そして最後はまた元の娼館に戻ったという、『星の流れに』の「こんな女に誰がした」という無数の女性の悲喜劇だったと思うのです。
あるいは溝口健二は、貴族の没落と武士の台頭に日本の社会の革命を見ていたのかもしれません。
『山椒太夫』の冒頭のタイトルに見られるように、溝口は、「いずれ日本は社会主義になる」と死ぬまで思っていたそうですから。それは、女性の悲劇は資本主義社会ではなくならないと思っていたからだと思いますが。
『新平家物語』の続編は、島耕二監督の『静と義経』にんりますが、かなり違いますよね。テレビで一度見ただけなので、記憶が曖昧ですが。
Unknown
>木暮美千代が象徴するもの
そういうことですか。納得できました。
ありがとうございます。
大映版 新平家物語は3部作で、2作目は衣笠貞之助の「義仲をめぐる三人の女」、3作目が島耕二の「静と義経」のようですね。
溝口健二の1作目はNHKBSで何度も放送していますが、後の2作品は知りませんでした。
雷蔵の清盛が死ぬまでを、続編として溝口監督に撮ってもらいたかったです。
一昨年の大河ドラマもつまりませんでしたが、昭和47年の仲代達也の大河ドラマはなかなか良かった覚えがあります。