いつもは高齢者映画館のフィルムセンターに若い女性が多い。アンディ・ウォホールは、今でも著名なのだろうか。
日本で言えば、寺山修司みたいなものだろうか。
私の次女によれば、同級生は寺山修司や蜷川幸雄はよく知っているが、清水邦夫はほとんど知られていないそうだが。
最初のフィルムは、4人の女性のスクリーン・テストで、じっと正面から撮影したもの。
見つめられていることは、まるでジョン・ケージの『4分33秒』みたいなものだが、どういう意味があるのだろうかと思う。
ある種の精神病者は、互いに口をきかずとも相手と会話ができた幻想を持つそうだが、これもそうなのだろうか。
『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・ニコ』は、ニコを中心にルー・リード、ジョン・ケイルらのヴェルヴェツルト・アンダーグランドの演奏をずっと撮ったもの。
曲は、ほとんど抑揚のない循環コードのインド音楽風のもので、ニコはタンバリンをマラカスで叩く。
まるで日蓮宗の「だんだんよく鳴る法華の太鼓」の団扇太鼓である。足下でじゃれつくガキは、彼女とアラン・ドロンとの間の子供なのだろうか。
ニコは、後の来日時に比べれば、随分と太って見える。
画面は、ときどきボケたり、焦点を合わせたり、またズーム・アップしたり、アウトしたりで、要は性的な興奮を表現しているようだ。
次第に高まってきて、明らかに性交のことを表現しているとわかるが、どこで射精したのかは不明。
日活やピンクのように明らかに行為を終え、果てた時の描写もない。
アメリカ人の性行為というものは、そうしたものなのだろうか。
いずれにしても麻薬の下にある状態だと思うので、私にはまったく無縁である。
ニコは、1988年2月に日本に来て、郵便貯金ホールでジョン・ケイルとジョイントのコンサートをやった。
出てきて1曲歌うと会場から
「下手くそ!」との野次があり、
「黙って聞け」との答えもあったが、この「下手くそ」と言ったのは、鳥井賀句氏だったらしい。
確かに歌はたどたどしく、おぼつかなかったが、グラス片手だったので、酔っていたのかもしれない。
数日後、ジョン・ケイル単独のコンサートがパルコ劇場であった。真面目なもので「これはロックなの」というものだったが、非常に良かった。
この時、ジョン・ケイルはピアノを弾いたと思う。
数ヵ月後、ニコは事故で死んでしまう。
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