八千草薫は、

八千草薫が、ガンで闘病中だそうだ。すい臓がんとのことだが、これはまじめな性格の人がなりやすいそうで、昭和天皇もすい臓がんだった。

八千草薫については、以前次のように書いたことがある。

テレビを見ていると八千草薫が健康関係のCMに出ている。1931年生まれだから、今年で81歳になっているが、とてもそうは見えない、異常な若さである。昔なら、80と言えば腰の曲がった、杖をつくおばあさんだった。誠に日本の長寿化はすごい。さて、八千草を見ると、いつも劇作家矢代静一のことを思い出す。『絵姿女房』『黒の悲劇』『北斎漫画』等の傑作戯曲を書いた劇作家で、女優毬谷友子と文学座の矢代朝子の父親である。二人の娘は、矢代と女優の山本和子(木下恵介の『女の園』での上級生)との間の子だが、実は矢代静一は、八千草薫と付き合っていたことがあった。以前、読んだ彼の評論集にはっきりと書いてあった。そのきっかけは忘れたが、八千草は、かなり文学志向の強い女性で、その点でも八代と上手くあったのだろうが。八代は真剣に結婚まで考えていたらしいが、その頃ちょうど八千草が宝塚から東宝の若手大スターになる。スターとして出世してゆくこの時に、結婚はダメということで、八千草の家族から反対されて上手くいかなかったようだ。その代わり、山本和子との間に、矢代朝子と、極めて類まれな女優毬谷友子が生まれたのだからよしとすべきだろう。因みに、今や矢代もそうだが、山本和子も比較的早く亡くなっていて、残されているのは、美人姉妹のみである。

私も、市川雷蔵主演の1965年の『忍の者・伊賀屋敷』で、お姫様役の八千草薫を見て、あまりの可愛さに非常に驚いた。高校3年の6月で、この時すでに彼女は30歳を越えていたはずだが、到底そうは見えなかった。今も変わらないのは本当に凄い、まるで奇跡のようだ。

彼女が唯一結婚した相手は、言うまでもなく監督の谷口千吉だった。

谷口千吉も非常に元気で若かったので、あるとき友人が谷口に「若さの秘訣は何ですか」と聞いた。

すると谷口は即座に「強姦ごっこだよ!」と答えたそうだ。

その時、八千草は、何も言わずに聞いていたとのことだ。

ご回復をお祈りしたい。

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