近年、横浜市南部で凋落が著しいのは、根岸線磯子駅付近だろう。
その理由は、新杉田駅周辺が再開発され、駅前にラビスタができたからだが、もともと磯子駅の場所に問題があったからである。
現在、根岸線の駅は、山手の次は根岸で、磯子、新杉田、そして洋光台と続く。
だが、この磯子は、本来の磯子ではなく磯子3丁目である。
磯子というのは、現在もある磯子警察署付近のことで、かつては磯子区役所も警察署の前にあったのである。
このエリアは、別名浜といい、明治以降から住民が多く、商店も沢山あったところで、美空ひばりが生まれた滝頭も、そのすぐ奥である。
だから、本来なら磯子駅は、この辺に作れば町の奥行もあり、住民も多かったので、最適だったはずだ。
では、なぜ磯子駅は、現在の場所にできたのだろうか。
それは、西武グループの創始者堤康次郎のお力である。
西武の社長で、衆議院議員でもあり、1950年代には衆議院議長も努めた堤康次郎は、すでに東伏見宮別邸を入手していた。
そこで、将来ここにホテルを作ることを計画しており、その丘の真下に駅を作らせたのである。
運輸族のボスだった彼にとって、新駅の場所の決定くらい容易できたことだと思う。
私は、横浜の昔の埋立地の売却企業決定の稟議書を見たことがあるが、そこには候補企業のところに鉛筆で、推薦してきた関係者の名が書き込んであり、その通りに売却されていた。
昔は、このように地方でも国でも、政商連中が暗躍して公共事業に介入していたのであるが、情報公開はなかったので、一切は権力者とそれを左右できる者たちの間で行われていた。
その後、西武は、ここにホテル、プールなどを作り、一時は9ホールのゴルフ場まであった。
ホテルのガーデンは、植木等主演の『日本無責任時代』のラストシーンで、プールについては、神代辰已監督の『青春の蹉跌』の冒頭で見ることが出来るが、今はそのどちらもなく、高層マンションになっている。
さて、磯子駅の問題点は、そうした本来設置すべき場所ではないところに作ったために、バス・ターミナルはあっても、町に奥行がないので、人は増えず、新杉田の再開発が進んだことで、一挙に凋落することになったのである。
都市の性格というものは、人為的には変えられないものなのだと思う。