松村千賀雄氏が89歳で6月上旬にご逝去されたことを知ったのは、松本純議員のブログである。
松本純と太田正孝のブログを読んでいれば、横浜の政治の動きはわかるとの噂だが、本当にそうだった。
松村千賀雄氏には、大久保英太郎、鈴木喜一、相川藤兵衛の三人の市会議長に仕えた後、一番最後に秘書として2週間ついた。
「どうだ、俺ともっとやるか・・・」と聞かれ、この大物についておけば出世できるかなと思ったが、
「もう4年半もやっているのですから辞めさせてください」と言い、2週間で議長秘書を辞めさせてもらった。
私の後任は、助役の秘書をやっていて、元からよく知っていた佐藤栄一君だったので、引き継ぎも非常に楽だった、
彼は、その後いろんな局を回られ、最後はある局の理事になったのは、やはり松村先生のお力もあったのかもしれない。もちろん、彼の実力だが。
松村千賀雄氏は、1980年代当時、横浜市自民党の最大の実力者であり、会社も経営されており、基盤は盤石と思われたが、リクルート事件での未公開株の譲渡者に名が出て、議長任期も2年で終わらざるを得なかった。
本人は多分4年間するつもりだったと思うが。
松村先生に教わったことで、一つだけすごいと思ったのは、
「人に会うには雨の日に行け」というのがあった。雨の日は大抵の人は外出しないので会えるというのだ。
さすが民間企業の経営者だった。
ご冥福をお祈りいたします。