8日の夜は、阿佐ヶ谷に行き、「夜の午睡 よるのひるね」で行われた山口博哉さんのトークに行く。
世界で唯一の轟夕起子研究家の山口さんは以前から名は聞いていたが、いったいどのような方なのかの興味もあり、阿佐ヶ谷に行く。
高円寺の円盤のような店だが、その半分くらいで、20人来たのでほぼ満員。
店の中は、映画、音楽、漫画等の本が雑然と置いてあるのが、いかにも中央線の店という感じ。
1970年だそうだが、大阪西成に生まれた山口さんは、まず高校1年の時映画『二十四の瞳』を見て大変感動して高峰秀子を、さらに轟夕起子が好きになり、高校2年の時、東京の叔母さんの家に行ったとき、高峰秀子と監督で、元夫だった島耕二の家に行ったとのこと。
その時、島耕二はすでに亡くなっていて、後に轟の次の妻のヤスさんから連絡をもらい、話を聞くことができたとのこと。また、轟の運転手だった方からも、轟が大変に公平で差別意識のない女性だったことも聞いたそうだ。
子供の頃からジュゴンが好きで、ジュゴン学者になるために東海大海洋学部に入る。ところがジュゴンは哺乳類で、海洋学部は筋違いだったらしいが、無事卒業されて東京で就職される。
事情があって会社を辞めて大阪に戻り、その頃から本格的に轟夕起子研究にいそしむようになる。本や雑誌の他、SPも収集され、池田文庫では、彼女の記事を全部ノートに筆写される。
そうして、轟の世界一のコレクターになる。
レコードの世界ではコレクターは多数おられるが、大抵はあるジャンルのコレクターが普通で、一人の女優のコレクターというのは珍しと思う。
この日は、映像は使用されなかったが、彼女の芝居では、1943年に帝劇での『三笑』で滝澤修との共演したことが重要ではないかとの山口さんの重要なご意見が披露された。
私が彼女の演技ですごいと思うのは、その自然さである。当時の日本の女優で、あのように自然で今見てもまったく違和感のない演技は珍しいと私は思う。
調べると、映画『ハナ子さん』と同時期だが、『三笑』の前なので、滝澤修との共演の前に彼女は、あの自然な演技を身につけていたことになる。
そうなると、あの演技は天性のものなのだろう。
今年は、轟夕起子生誕100年、没後50年で、山口さんは、重要な年と位置付けられていて、宝塚映画祭とラピュタでの作品上映、さらに来年には彼女の伝記を出されるとのこと。
大いに期待したいと思うが、第一に山口さんという方が非常に興味深い人だった。