「巨大な村」だった日本社会

東京新聞に、「談合の底流」として、リニア談合のことが特集されている。

その中で、「プロ消え、人脈に」として、今回の談合が早稲田大学理工学部同期の人脈でなされたことが記述されていた。

プロ消え、とはかつてゼネコン各社には、談合のプロと言われる人たちがいて、彼らが大規模事業の談合を仕切っていたとのこと。私は、横浜市に40年間いたが、談合の対象となるような部署にいたことはない。

ただ、パシフィコ横浜にいたとき、建設担当の部長から、談合の実態について聞いたことがある。談合のプロというのは、各社では通常の社の序列とは別にいてそれなりの存在だったそうだ。談合は、精密なもので、市内地図の上にきちんと各社の区割りがきちんと区画されたものだったそうだ。

さて、このゼネコンの談合に見られるのは、日本の社会は基本的に、「大きな村だった」ということだろう。

1950年代の、東北などからの中学生の集団就職に見られるように、地方から集団で都市に上京し、就職するものだった。そこでは、会社の社宅に住み、企業からかなりの手当てを受けて幸福な生活ができるようになっていた。

運動会などの様々なイベントを企業と組合が協力して行い、社内結婚が奨励され、女性は結婚退社し、男は社内での順調な昇進を夢見るものだった。

要は、会社が、第二の村になり、そこでの幸福が目指されていたのである。

こうした村社会は、小泉構造改革以後の国際化と日本社会の変化で大きく変わりつつあり、「村の喪失」は、現在の日本人に強い負荷を与えるものとなっている。

ここからどういう方向に行くのだろうか、私にはわからない。

ちなみにリニア新幹線については、私は基本的に賛成できない。

理由は、東海道新幹線と飛行機があるのに、さらにリニア新幹線を膨大な投資で作る必要があるとは思えないからである。リニアを作るなら、安部晋三総理お好みの、ロシアと協力して、北海道からシベリアに新幹線を伸ばしてユーラシア大陸にまで延ばした方が良いと思うのだ。

技術的には可能だそうで、観光目的からは、リニアなどよりは北海道から新幹線でシベリア、ヨーロッパ旅行の方が、はるかに夢があると思うのだが。

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