石原慎太郎の反米の原点

先日、BSフジの「プライムニュース」を見ていたら、石原慎太郎が出ていて、勝手なことを言ってた。

この「プライムニュース」は、フジテレビには珍しく公平で、きちんとした質問をするニュース番組である。

その中で、石原慎太郎は、非常に興味深いことを言っていた。

それは、彼が高校生の時、父親に連れられて市ヶ谷の「東京裁判」の傍聴に行った。かなり早熟な政治少年であり、当時は左翼的でもあったとものの本には書かれている。

                     

さて、その会場の階段を石原少年が下駄で上がっていくと、警備の米兵に蹴っ飛ばされて転がり、下駄がコロコロと階段を落ちて行ったというのだ。

その時、少年は敗戦国の悲哀を強く感じたそうだ。

以後、石原は、「NOと言える日本」に代表されるように、一貫して反米であり、弱腰の吉田茂以下の歴代の自民党と外務省官僚を批判している。

それは、彼が原作、脚本を書いた映画『狂った果実』を見ると本当によくわかる。そこでは、弟・津川雅彦と兄・石原裕次郎が惚れた女の北原三枝は、実は人妻であり、それも年寄りの米国人の妻なのである。

これは非常に屈辱的な男女関係であり、ここには石原慎太郎が、嫌悪する戦後の日本と米国の関係が象徴されていると言える。

かつて、戦前、戦中の『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓い』では、日本人長谷川一夫は、中国人李香蘭に惚れられてハッピーエンドになる物語だった。

ここでも、勝利者日本と敗北者中国との関係が、男と女の関係に置き換えられている。

石原慎太郎が、こうした戦時中の映画を見ていたかどうかは知らない。だが、戦後の日本とアメリカの関係を自身の屈辱と結び付けて作品化したのは、やはり大変鋭いことと言わざるを得ないだろう。

根底にそうした感情があるからこそ、映画『狂った果実』は若い世代に受入れられ大ヒットしたのだと私は思う。

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コメント

  1. nonoyamasadao より:

    ほんの寝巻きで
    この下駄の挿話は、初めて知りました。
    高校生の時に、慎太郎の発掘者の浅見淵にならったので、灰色の教室、完全な遊戯と進み、ファンキージャンプを読んだときに、当たり前ですが、ボクは作家にはなれないなって思った、。大学生のころに、このクラスのものはとても書けないと思った。
    学生時代はノンポリで、今や、完全な左巻きですが、初期の慎太郎の凄さだけは、今でも、高く評価しています。

  2. より:

    ルーツ
    「蝦蟇の油」読みました。黒澤明も、「野良犬」での犬の演出について動物愛護のアメリカ女性から、こっぴどく非難された事を、敗戦と結びつけていましたね。

    むしろ、マッカーサーが天皇と映っている写真に象徴されるように、指導層は紳士であって、日米関係を政治レベルから良好に保ちたいとと思っており、敗戦の咎をしつこく突いて来るのは、感情的な一般人のレベルかも知れませんね。

    石原慎太郎は、政治家になってからは、こんな目に遭っているとは考えられません。

  3. さすらい日乗 より:

    石原慎太郎・裕次郎兄弟の父親は
    石原兄弟の父・潔氏は、旧制中学を卒業して山下汽船に「店童」として入社し、取締役にまでなっています。でも、戦後に52歳で若死にしてしまい、石原家は裕次郎の放蕩もあり、非常な苦境に陥ります。
    後出しジャンケンに象徴されるように、石原慎太郎が慎重な性格になったのも仕方ないことです。堀川弘通氏は、映画『日蝕の夏』を監督した時、「臆病なほど慎重で」驚いたと書いています。

    また、「石原兄弟の父は外航船の船長」と紹介されますが、山下汽船は貨物船の会社で、優雅な外航客船ではありません。
    実際に石原潔がやっていたのは、樺太や北海道での木材の切出し、運搬で、言わば『蟹工船』の船長というべきでしょう。
    石原裕次郎が映画の中でしばしば対立した安部徹のような「悪役」だったわけです。

    『蝦蟇の油』は、偉い人の伝記にはよくあることですが、嘘とまでは言えないにしても、本当とはかなり違う本で、あれを信じてはいけません。