『ヘッダ・ガーブレル』

1960年代の初め、当時日本の学生演劇界をリードしていた早稲田の自由舞台が、イプセンの『野鴨』を上演して、大変話題になったことがある。
「いまどき、イプセンなどと言う古臭い芝居をやって、どうするの」という疑問だった。
そして、私もイプセンの戯曲はいくつか読んだが、面白いとは思えなかった。

だから、2008年にデヴィット・ルヴォーの演出、宮沢りえの主演で『人形の家』を見たときは、本当に驚いた。
そこで演じられているのは、やっと銀行の役員になれた夫と妻のリアルな姿で、まるでバブル崩壊後の不況の中で、上手く切り抜けささやかな家庭の幸福を得た、現代日本の若いカップルそのもののように見えたからだ。
その幸福が、主人公たちのほんの少しの間違いで破綻し、最後はノラの家出にまで行き着いてしまう。
「これって、まるで火サスか土曜ワイド劇場のようだ」とさえ思えたのだ。
イプセンは、決して古くない、とそのとき思った。

さて、今回は、新国立劇場の新芸術監督宮田慶子の演出である。
主人公のヘッダ・ガープレルは、大地真央、学者の夫は益岡徹。
結婚後、6ヶ月間の新婚旅行から戻って来たところ。
山口馬木也は、七瀬なつみの助力で、大著を書き上げたところ。一読して益岡は、その才能に驚く。
だが、もともと無頼の山口は、泥酔して原稿を紛失してしまう。幸い益岡が道路で拾い、それを大地に預ける。
大地は、七瀬と山口の愛への嫉妬心から、暖炉で原稿を焼いてしまう。
山口の自殺の拳銃が大地のものであることを判事から追求された大地は、山口のあとを追って死ぬ。

これは、大地と山口という高貴な才能が、益岡らの凡俗に敗れる話である。
まさに現在の市民社会を描いた劇だった。
役者が皆適役だったことが、最大の収穫。
大地は、これほどの適役はないとも言えるし、自分勝手にやりすぎとも言える。
七瀬なつみ、山口馬木也も、役柄そのものの好演。
叔母の田島玲子が懐かしい。
この人は、ある時期、劇団雲のヒロインだった。
新国立劇場

バスで渋谷に出て、友人から薦められていた港北区ミュージカル『かくも賑やかな人々』を大倉山に見に行く。
「筋売りの1幕を全部カットし、2幕だけにし、その冒頭のパレードから始めたら、もっと良くなったに」と思う。
「おフランス」への憧れの部分が嫌だが、主人公の夫婦はアマチュアにしては歌はご立派。多分クラシックのコーラス等をやって来た方なのだろう、ブルース・スプリングスティーン風の曲になるとリズムが取れず乗れない。
しかも、音楽が良い曲とつまらない曲に極端に別れていた。
港北公会堂

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする