なぜ宮本や岡田を見るのか

宮本亜門や岡田利規の芝居を見たというと、
「なんであんなひどいものを見るの」とよく聞かれる。
勿論、今回は神奈川芸術劇場が出来たので、どういうところなのか見るのもあった。
だが、それ以上に、私は作品が本物か否かを見極める目、批評眼を持つためには、ひどい作品も沢山見ておく必要があるからだと思うからである。

よく骨董品や美術品の鑑定においても、贋物を見ておかないと、真贋を見極める目が養われないと言われる。
それは、そのとおりで、多くの贋物は、本物以上に本物くさい匂いを主張していることもあり、本物、贋物を見極めるのは大変難しい。
いずれにしても、多くの贋物、インチキを見ておくことは重要なことだと思っている。

演劇界のことを考えても、1980年代に「演劇新人類」と言われ、何も分からいない筑紫哲也等が持ち上げた、最低のレベルだった如月小春や鴻上尚史、さらにお下劣というしかなかった川村毅らを見ておいたことは、その後の彼らの当然の凋落を見るとき、見ておいて良かったと思うのである。
ただ、行く度にひどいと、さすがに嫌になるが。

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