その中心は、真空だった

先週の中村とうようさんが、亡くなられた金曜日の朝は、実は伊勢神宮に出掛けた日だった。
東京新聞で読み、これは何だと思いつつ、新横浜に行く。
今度のツアーは、ネットで予約したもので、新幹線で行く伊勢神宮ツアー。
45人の内、女性のカップルが多いが、夫婦や3、4組の方もいる。
男性ひとりは、4人だけだった。
皆さんは、60代以上で、3人の方と話したが、「昔は職場で団体旅行に行ったものだが」と言うことになる。
今は、職場、地域等の団体旅行はなくなり、このように個人単位で申し込み、結局は団体で集約するツアーになっている。

豊橋までは、こだま号、豊橋からはバスで伊勢神宮へ、とはそう簡単には行かない。
まず、八丁味噌の工場、さらに関インターで休憩、そして二見が浦も、買出し拠点だが、ここはろくな物がなし。
要は、さまざまな土産物店をめぐるツアーで、区役所時代に、民生委員協議会や老人クラブ連合会の団体ツアーを思い出した。
3時近くにやっと伊勢市に入り、外宮をお参りする。

バスの中で、外宮と内宮の建造物の形状の違いを教えてもらう。
実に行き届いた説明。
外宮は、中に何もないように感じられた。
権威の中心は、真空と言うのが日本的権力のあり方だが、その淵源はここなのか。

夕食は、当然ホテルの大ホールでのバイキングだが、夏休みに入った日なので、子供連れの家族が大多数。
「こういうところで食事していると、子供のお行儀が悪くなるな」と思うが、これが民主国家日本である。
そして、ここの大人の大部分が、2年前の選挙で、民主党に投票したのである。

部屋に戻り、プロ野球のオールスター戦をビールを飲みながら見る。
武田勝は、4本もホームランを打たれるなんて、いくらなんでも打たれすぎである。
翌朝、窓から外を見ると、台船に引かれた筏が沢山見える。
バスガイドの説明だと、3月11日の大地震の津波で、カキや真珠の筏が1メートルも持ち上げられて壊れた性なのだそうだ。
ここにも3・11の被害があったとは、知らなかった。

翌日は、伊勢神宮の内宮参拝で、五十鈴川からの森がすごい。
前々日が台風だったので、清流は少し濁っていたが、森はまさに原生林で、しかも南方的植生であり、そこは霊力を感じる。
やはり、内宮も、ご神体としては鏡があるが、要は周囲の森林全体こそが、ご神体であり、その中心は真空であるわけだ。

門前のおかげ通りの店で食事し、歌舞伎の油屋お紺の『伊勢音頭』の舞台はどこかと聞く。
ここではなく、もっと北側の古市が江戸時代の旅籠、遊郭があった場所で、今は1軒くらいしか旅館もないとのこと。

帰りも、買出しツアーで、一番傑作だったのが、「えびせん・チクワ共和国」という土産物店。
極めて小さくて、汚い貧相な店なのだが、この共和国というネーミングはすごい。
誰が付けたか知らないが、このネーミングは最高である。

横浜の自宅に戻り、ビールを飲みながら、中村とうようさんの東京新聞夕刊の原稿を読む。
7月4日のパーティーのときの写真が掲載されているが、かなり痩せているように見える。

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