岡本坦氏、死去

先週末の神奈川新聞に、横浜市の元助役の岡本坦(おかもと あきら)氏が、3月5日に亡くなられていたことが出ていた、73歳。
「鉄人・岡本」と言われ、財政局、都市計画局、総務局、教育委員会等で活躍され、初代の青葉区長になり、そして横浜市助役として高秀秀信市長に仕えられた。
助役の後は、パシフィコ横浜、横浜港埠頭公社、さらに帆船日本丸等の諸団体でも、長としてご尽力された。

私とは、パシフィコ横浜が株式会社横浜国際会議場として設立された時、岡本坦さんは総務部長で、私は営業部係長で出向し、大変お世話になった。と言うか、いつも怒られてばかりいた。

だが、大変に度量が大きい方であり、私が企画課係長で、1991年夏のパシフィコ横浜の「オープニング・イベント」として、ワールド・ミュージックのフェスティバルである「ウォーマッド」を企画した時、
「俺にはよく分からないけど、指田さんが良いと言っていうなら認めるから、立派にやってくれ!」と快くゴー・サインを出してくれた。
その後、ウォーマッド横浜として、私の後任で今はこども青少年局長の鯉渕真也さんが、多くの方のご理解を得ながら1991年夏に実現してくれた。

岡本さんは、酒、タバコ、麻雀の「専門家」であり、おじさん趣味そのもののように見えたが、実はジャズにもご造詣が深かったのである。
野毛にダウン・ビートというジャズ喫茶がある。
岡本さんは、若い頃、そこで働いていたことがあると日頃言っていた。
一度野毛で飲んだ帰りに連れて行って貰ったことがあり、「これは本当だ」と驚いたものだった。
彼は、静岡の富士宮の奥の高校を出て横浜市に就職し、親戚の人がやっていた店のダウン・ビートでアルバイトで、大学に通いながら働いていたようだ。

パシフィコ横浜の総務部長の時、ほぼ毎日4時半すぎになると部長席の電話がなる。
某課長からのもので、麻雀のお誘いである。
よく毎日続くものだと思ったが、そこが鉄人である。
翌日には、社内会議で、これも論客であった若竹馨部長、佐久間健治部長らと、高木文雄社長の前で論戦を戦わせるのであった。

数年前に脳梗塞になり、ときどき言語不明瞭になる時があり、その頃から公職を減らされていった。
今回の記事に病名は書かれていなかったが、肺がんとのこと。
やはりタバコは良くない。
来月下旬には、お別れ会が行われるそうだ。
横浜市に多大なご功績のあった鉄人のご冥福を心からお祈りする。

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