『ボサノヴァ物語「太陽・汐・南」の詩人たち』

友人から、JASRACで北中正和さんのコディネートでやっているミュージック・ジャンクションがボサノヴァ特集をやるとの誘いを受けたので、阿佐ヶ谷で井上梅次作品を見た後、バスで代々木八幡まで行き、そこからかなり歩いて古賀政雄音楽資料館もある、JASRACのけあきホールに行く。

ともかく、この故古賀政雄邸の広大さには驚く。今は、資料館の他、JASRACの事務所、その他マンションなどになっている一帯がかつては、すべて古賀政雄のお屋敷だったのである。おそらく1万平米位はあるのではないかと思う。

ミュージック・ジャンクションの「ワールドミュージック」シリーズは、やっていたのは前から知っていたが、行くのは今回が初めて。すでに27回目なのだという。

今回は、ボサノヴァで、今年は1962年に、ブラジルで『イパネマの娘』がヒットし、さらに同年11月にはニューヨークのカーネギーホールで、ボサノヴァコンサートが開かれ、世界的にボサノヴァとブラジルのアーチストが知られるようになって50年で、ボサノヴァ50年でもあるそうだ。

会は、二部に分かれていて、一部は、大著『ボサ・ノヴァの歴史』も翻訳された国安真奈さんによる1950年代末から1964年までのボサノヴァの歴史。 

トム・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ホナルド・ボスコリ、ビニシウス・ジ・モライス、さらにホナルド・メネスカルやナラ・レオン等のアーチストが出会い、音楽を作り、公開の場で発表するようになり、クラブ、ラジオ、ステージ、コンサ―ト等で若者の支持を受けて大ムーブメントになる様子が要領よく説明された。

1964年だったと思うが、高校2年のとき、新宿日活の6階の国際名画座で『黒いオルフェ』を見た。その予告編では、『思いあふれて』がリオの十字架の像の映像のバックに流れるという本編にはないものだった。ボサノヴァのレコードを最初に買ったのも、川崎の日航ホテルのビルの2階にあった中古レコード店ハンターで、言うでもなくアストラッド・ジルベルトの『イパネマの娘』の『ゲッツ・ジルベルト』である。

当時、同時にフランスや日本の松竹ヌーベルバーグ映画も見ていたので、私には、ボサノヴァとヌーベルバーグと、時代的には少し早くなるが、日本の太陽族は同時期の運動と言う感じが昔からしていた。そのことを『ミュージック・マガジン』に書いたこともある。

二部は、ボーカルの吉田慶子とギターの笹子重治で、『思いあふれて』や『デサフィナード』などのコンサート。やはりボサノヴァは良い。日本にも本物のボサノヴァ・アーチストがいると知った。

国安さんのお話を聞き、あの大著『ボサノヴァの歴史』を最後まで読みとおし、そのことについてもう一度考えてみる気になった。

JASRAC けあきホール    ボサノヴァ物語『太陽・汐・南』

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