無知にもほどがある

黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』を出して驚いたことの一つに、1944年の黒澤の作品『一番美しく』を反戦映画とする説があることだった。

これは、光学兵器を作っている軍需工場での女子工員、つまり女工の姿を描くもので、主人公は翌年黒澤明と結婚する矢口陽子である。

冒頭に、志村喬の異常に精神力を強調した演説があり、まずこれに驚く。

さらに女工たちは、工場に不満を述べる。彼女たちの目標が男子工員の半分で、「もっとできるので目標を上げてほしい」というのである。

だが、病気等で成績は上下する。

すると彼女たちに鼓笛隊を編成させて、その訓練を通して士気を高揚させ、成績を回復させる。

最後、矢口は不良製品を出したことに気づき、同僚や上司等も全員で徹夜して探し出して不良品が出ることを阻止する。

志村喬の「精神力の向上なくして生産力の向上なし」が実現されて無事終わる。

このどこに反戦的メッセージがあるというのだろうか。

前作の『姿三四郎』が、1943年に「国民映画」に選定されたとき、彼は次のように書いている。

 国民映画はアメリカ映画に絶対に勝たねばならない。ここに、僕等の戦いがあるのだと思う。

 では、どうしたら勝てるのか?日本人がアメリカ人を圧倒する・・・それには日本人の本質をつかむ以外にはない。

 日本人の本質とは?

 滅私奉公・・・死線を越えた彼方に生きんとする日本人・・・その美しい日本人を描くこと以外に国民映画はあり得ない筈だ。

このどこに反戦の意思があるというのだろうか。戦争で死ぬことが日本人の本質だと言っているのである。

反戦論者の根拠に、昔渋谷陽一が黒澤にインタビューして「あれは反戦映画ですよね」と質問し、黒澤が「そういう含みもある」と答えたことがあるそうだ。

だが、黒澤は、質問があまりにバカバカしいので、適当に相槌を打ったと考えるべきだろう。

また、洋楽を使用していることが戦争への抵抗だという解釈もあるが、この頃の黒澤映画の音楽は、音楽担当者にお任せであり、黒澤の選曲ではない。

この作品の音楽は東宝の鈴木静一で、最初の作品『姿三四郎』の時も、

「私に任せて、まあ見ていなさい」と鈴木静一は言い、黒澤には音楽に口を出させなかったそうだ。

戦後は、東宝や東映の時代劇の音楽で活躍すり鈴木だが、東宝には初期からいて、音楽監督的立場だった。

『一番美しく』の音楽が西欧的だと聞こえるならば、それは鈴木静一のセンスである。

因みに鈴木作曲のヒット曲に平井英子が歌った『煙草屋の娘』があり、彼は軽快で明るく西欧的な作曲家なのである。

黒澤が、映画の音楽について口を出すようになったのは、『酔いどれ天使』で早坂文雄に会ってからで、『虎の尾を踏む男たち』も服部正のものだそうだ。

ともかく、普通の庶民レベルの知識、教養しかなかった黒澤明に、戦時中に反戦意識などあるはずがない。

だが、それは彼の恥ではなく、『静かなる決闘』以後の作品で「戦争責任」を内面化し題材としたことは彼の映画の大変優れたところだと私は思っている。

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コメント

  1. シーリア より:

    だいぶ前でごめんなさい
    まあ…渋谷に黒澤明へインタビューさせた事自体がミステイクですね。
    「一番美しく」はあれはどう見ても反戦ものじゃないですよね(笑)
    きな臭さとかけ離れた場所のテーマだし。
    渋谷陽一ってライナーノーツを読んだことがあるけどあまり利口な印象ありませんでした。
    ヘンにチャラチャラしてハッタリばかりかましてるというか…
    とにかくダメ。

  2. 気持ちはわかりますが
    なぜ黒澤明の『一番美しく』を反戦映画と解釈する間違いが起きるのか、気持ちは分かるのです。
    「世界の黒澤大先生」が戦意高揚映画を撮ったことなど信じたくないのです、渋谷以下のファンは。

    でも、間違いなくあれは戦意高揚映画です。
    そもそも戦時中に反戦という考え方が普通の日本国民にあったでしょうか。
    ただの庶民に過ぎなかった黒澤明に反戦などと言う、反社会的な意識があるはずもありません。
    それは大知識人だった永井荷風、谷崎潤一郎らとは全く違います。

    でも、戦意高揚映画『一番美しく』を作ったことの責任をきちんととっているのが、戦後、特に『静かなる決闘』以後の黒澤明なのですから。少しも恥ではりません。