お琴が乙武洋匡に見えてきた 『お琴と佐助』

立花隆の『宇宙からの帰還』には、宇宙飛行士とセックしたいと多数の女性がフロリダの宇宙センターに来たことが書かれている。

乙武洋匡の醜聞を聞いて思ったのは日本にも、有名人とやってみたいと思う女性は結構いるんだなということだった。

図書館にいたとき、カウンターで『五体不満足』が返却されてきて、パラパラと見たことがあるが、好きになれず読まなかった。

障害を売り物にしているとことが不快だったのだと思う。

                  

阿佐ヶ谷ラピュタで、山本富士子と本郷功次郎の共演、衣笠貞之助脚本、監督の『お琴と佐助』を見た。

谷崎潤一郎原作で、5回映画化され、百恵・友和映画にもなった『春琴抄』である。

盲目の絶世の美人で、大阪道修町の大家の次女お琴は、琴の名人である。

それに丁稚の佐助は献身的に仕え、ついには家業の薬屋の仕事から離れて、お琴の世話だけに専心する。

すると、お琴の佐助への指示、命令はさらにひどくなり、ほんとんどサディズムのように見えてくる。

また、それを嬉々として従う佐助も、マゾヒズムの究極のように見えてくる。

ここには、谷崎の女性への奉仕、サド・マゾ趣向がよく出ていると思う。

そして、この劇の向こう側には、乙武氏と5人の女性の姿が見えてきた。

彼らの間は、当人同士しかわからないが、サド・マゾ的なものだったと思う。

男女の仲は、普通の人間の想像を超えるものがあるものだとつくづく思った。

関係ないが、谷崎の『春琴抄』は、古文書を探し、そこから物語が始まる構成で、あたかも実在の話のように書かれている。

だが、これは全くの谷崎潤一郎の創作であり、アンドレ・ジードの『贋金作り』のような小説なのである。

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